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Mijo 2012

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軽井沢で行われたMijoのセミナーにあずかって、早くも一か月が経とうとしています。


Mijoをはじめ、ヨゼフィーネさん、エミーナ、ガビィさん、その他、黙想会を支えてくださった方々に、改めて感謝!今回は、自分の信仰にとって、そして、これからの人生にとって、たくさんの恵みをいただきました。


セミナーに行く直前まで、本当にひどい霊的戦いが続いていました。心は荒み、怠慢もよいところ。セミナーが近づくにつれ仕事も忙しくなり、行くのをやめようかと前日まで真剣に考えていたほどです。ですが、招かれた者は必ず招くのがイエズスのご計画。これだけひどい状態なのだから、きっとその分、恵みが多いのだろうなと心の奥底では感じていました。


Mijoのセミナーも今年で3回目。毎度ほぼ同じメンバーですので、一年ぶりにあう「家族」に「ただいま!」と言う感覚です。人と人の間の壁がなくなり、安心して参加できるからこそ、祈りや黙想に集中できるのでしょうね。


ボクは正直、セミナーの間に何かをいただいているという実感や超自然的な体験はありません。でも、確実に何かをいただいているのを、セミナー後、内的に感じます。つまり、日常生活に戻ったときに感じているわけです。


今回は、自分の中で静かに恵みが働いているのを感じています。セミナー前と後では、内的には別人状態です。自分の惨めさ、弱さ、罪深さ、そういったものを改めてひしひしと感じています。けれど、それがボクを絶望させるのではありません。「これだけひどい人間なのに、無でしかないのに、神はなぜこれほどにまでボクに愛を注いでくださるのだろうか?あなたの愛を受けるに全くふさわしくないのに、それどころか、あなたに背を向け傷つけているだけなのに、どうしてこんなに大切にしてくださるのだろうか?」と、己の惨めさによって、神の愛を深く感じることができているのです。


ボクはイエズスの眼差しに心の中で目を向けます。聖書の中には、イエズスの眼差しが多々出てきます。愛にあふれ、どのような惨めな者も無条件に受け入れ、ご自身のうちに招きこむように深く、どこか憐みに満ちた悲しげな眼差し。この眼差しがボクの心を貫き、心に光を注ぎ、イエズスの現存を強く感じさせます。


先日、枝の主日のミサにあずかっていた時のことです。「棕櫚の葉を手に持って〜」となじみ深い聖歌が歌われました。それまでの栄光にあふれた歌詞と違い、3番の詞はこうです。


「御苦しみの日近く、我らの罪のために、いけにえとなり捧げたもう主。」


イエズスを迎える大勢の民衆のホザンナの歓声は、数日後には呪いの罵倒に変わります。ご自分の時が近づいているのを感じておられる主は、どのような苦しい心のうちに、ロバに乗ってエルサレムに入城されたことでしょう・・・。それでも私たちを救うために、迷わず前進されます。誰のためでもなく、私たちのためにゴルゴタに向かって苦しみのうちに前進されるのです。こんな、惨めな人間のために・・・。


ボクは涙が止まらなくなりました。


そして、聖変化と聖体拝領のとき。掲げられたホスチアを見つめていると、また、ご聖体をいただいていると、涙が止まらなくなりました。イエズスは小さなパンの形で、ご自身を余すことなく私たちに与えてくださいます。このパンは動くことも逃げることもできません。悪者が持ち運び、冒涜することもできてしまう無力な形です。そういう危険性があったとしても、それでも私たちにご自身を与えたいと願うイエズスの愛・・・。なぜそこまでして私たちのために・・・。


このことを思うと、主を冒涜する人たちのため(彼らも主によって創られた主の子どもたちです)、また、傷ついた主の体を癒すため、主の愛を知った私たちが祈り償わなくてはといたたまれなくなりました。


ミサの中で主の愛に包まれ、主の愛に心を貫かれ、涙したのは、メジュゴリエでの回心以来でした。あぁ、なんというミサの価値!!まさに四旬節のこの時期に感じている主のご受難と、それに続く復活が、ミサの中で毎度繰り返されているのですよね。




P.S. 


セミナーの中でひとつ解けた謎がありました。以前、聖母子の絵のインスピレーションをいただき、ラフスケッチを描いていました。それを黙想会中に祈りながら清書していました。


ヨゼフィーネさんがいただいた美しい子守唄でMijoも大好きな「O Mein Leiber Jesus(私のイエスよ)」を歌っていたとき、「あ!」と気づきました。ボクの絵は、この歌を描いたものだったのです。聖母が幼いイエズスを優しくあやし、イエズスが小さなお手てで聖母の指を握っているという絵。まさに歌詞の内容と一致していました。




ミーヨ・バラダ comments(4) -
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Comment









>確実に何かをいただいているのを、セミナー後、内的に感じます<

そう!セミナー後ですよね、
内的に変わっているのに気付くのは。
私自身も、そうですね。


>主を冒涜する人たちのため(彼らも主によって創られた主の子ども
たちです)…私たちが祈り償わなくては<

タディさんの、この言葉にビックリ!

先日買った『ベルナデッタとロザリオ』という本に
載っている、ベルナデッタの書いた手紙の一節……


主に対して、どれほどの罪が犯されていることでしょう!
これらのあわれな罪人が回心するように、
その人びとのためにたくさん祈りましょう!
要するに、この人びとは、わたしたちの兄弟なのです。


と、表現が違うだけで、言っていることは殆ど同じ!
単なる偶然とは思えないです。すごい御恵みを頂きましたね!


もう読まれたかも知れませんけど、
素晴らしいメッセージをネットで見つけました。
晴佐久神父様の説教です。青年KAROL(カロル)…
福者ヨハネ・パウロ2世前教皇さまの本名ですけれど、
その半生をテーマにお話しされています。

一応リンクを貼っておきますね。
http://www.fukuinnomura.com/?p=1326

ちょっと長いですけど、すぐ読めてしまうと思います。
もしまだでしたら、是非どうぞ。
   
from. からやん | 2012/04/06 18:27 |
taddyさん、またたくさんの新しい記事が読めてうれしいです。
そう!私もね、今回のミオの3回目のセミナーで、初めて安心感に包まれて、祈りや黙想や講話を集中する事ができたんです!そうっかあ、、家族と共に過ごしている感覚がそうさせてるのね、きっと。確かにtaddyさんの姿を見つけた時も、一年ぶりなのに、時間の感覚がまったくなくて、去年のセミナーの続きのようでしたよ。

今回はたくさんのお恵みがいただけたようで、よかったですね。
そしてセミナー中たくさんお世話になりました。ありがとう。
わたし年上なのにやっぱりtaddyさんはお兄ちゃんみたい、あはは。
来年までに少しはお姉さんになれるよう努力はしてみまーす。

Happy Easter!!!
from. flowerosa | 2012/04/08 22:52 |
>> からやんさん

やはり、黙想中や巡礼中は、霊的な環境にいるので、自分の中での変化を実感するのは、俗世に戻ったときなのでしょうね。メジュゴリエでの回心のときも、やはり自分が変わったことを実感したのは、日本に戻ってきた後でしたし。

ベルナデットも同じようなことを言っていたのですね。実は、今朝もとあるクリスチャンの知り合いがイエズスのことをちゃかしているtweetを読んで、とても心を痛めていたところです。冒涜のつぐないのため、この知人自身の回心のため、祈りたいと思います。以前はあまりこの点について感じるところが少なかったのですが、イエズスの人間に対する愚かしいまでに驚くべき愛を知れば知るほど、傷つけられているイエズスのため、そして、傷つける側のために祈らなくてはと意識するようになりました。

晴佐久神父様の説教、ご紹介ありがとうです!読んでみます!!
from. taddy | 2012/04/09 10:34 |
>> Flowerosaお姉ちゃん

Selamat Paskah!!

記事読んでくれて、ありがとう。そういえば、今回の黙想中、よく眠れたって言ってたもんね♪
Mijoの黙想会、回をかさねるごとに、お互いを顔見知りになれてきているから、祈りも心をひとつにしやすくなってきてるように実感する!グループで祈るときには、そういう一致の心が大切だよね。

Flowerosaさんをはじめ、たくさんの方が、今回もたくさんの恵みをいただけたことに感謝ですね!!こういう霊的な黙想会が、もっとちょくちょくあると良いんだけどなー。贅沢な悩みかもしれないけど。
from. taddy | 2012/04/09 10:41 |
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