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Peter & Juda

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イエズスを裏切ったユダとペトロ。


ユダは奴隷の価格と同じ銀貨30枚で主を売り、ペトロは三度主を否定して逃げてしまう。しかし、二人とも人間である以上、救いのチャンスは最後の最後まであったはず。


二人を見つめるイエズスの眼差し。その眼差しは、咎を責め立てる眼差しではなく、人間の弱さを憐み、悲しみ、抱擁する眼差しであっただろう。


ヨハネは語る。ユダの裏切りに対し、主は「心が張り裂ける思いで」語られたと。

共観福音書では、ギリシャ語の「οὐαὶウーアイ」という言葉で、さらにユダへの憐れみが記されている。このギリシャ語は、「〜のことを考えると、胸が張り裂ける」という同情の悲しみ。ご自身の苦しみの真っただ中にあっても、いかにイエズスはユダを哀れまれ、ユダの魂が失われることをとても悲しまれたことか。


しかし、ユダはその愛の眼差し耐え切れず、絶望し、そして、おそらくそのプライドゆえに、イエズスに元に帰ることをしなかった。悪と闇の飲み込まれるまま、最後には首を吊って命を絶った。


ペトロは涙のうちに痛悔し、自分の弱さを認め、受け入れ、主のもとに跪き、主の愛の中に飛び込んで行った。主の赦しと愛に強められ、最後に彼は教会の基となった。


たとえどのような罪人でも、イエズスは哀れみ深く待っておられる。最後の最後まで、待っておられる。改心した者を主は赦し、受け入れるだけでなく、主の愛によって清め、さらに力づけてくださる。


だから、心に光を注いでくださる主の眼差しに、私たちは背を向けてはならない。




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