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Immanuel

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 「見よ。おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう。」これは、「神われらと共にいます」という意味である。
(マタイ 1:22-23)

今日の福音に出てくる節です。「インマヌエル」と呼ばれる救い主。「神われらと共にいます」という意味のその御名。なんとも素晴らしい神秘をこの御名は啓示してくれていることでしょう!

キリスト教の神は、人との深い交わりの中におられる神です。誘惑のときも、試練のときも、逆境のときも、すぐそばに一緒いてくださいます。日々の生活の毎瞬毎瞬、一緒にいてくださいます。今も生きている生き生きとして非常に現実的な存在です。

ユダヤ教やイスラム教の間違いは、神を遠くに追いやってしまったことだという記事を読んだことがあります。彼らは、人となられた神イエズスを、預言者以上のものとしては受け入れられません。イスラムはイエズス(イーサー)を預言者としてはたいへん尊敬しています。ですが、クリスチャンがイエズスを神である人としてみなすことは、「偶像崇拝」としてしまいます。

しかし、キリスト教で示されたのは、「愛の神」。天の高みから人間界を見下ろしている創造主ではなく、身をかがめ、人の視線から人と一緒に生活を共有してくださる神です。

それは、いかに神が人間を愛し、神にとって人間という存在がこの上もなく大切かを示しています。

神は全知全能の方。人類創造のとき、人間が誘惑に屈し、堕落し、ご自分の愛に背を向けることはすでに予見されていたことでしょう。それでも人間を愛していたので、創らずにはいられなかった!蛇の誘惑で人間に原罪が入ったとき、すぐに救いの約束を宣言されます。そして、ご自分のひとり子に人間の罪を背負わせ、ご自分のすべてを捧げつくすことを通して人間を解放されます!

あまりに人間を愛するあまり、全能者は自ら肉をまとい、人となり、人間と苦楽を共にされるのです!苦しみや悲しみや絶望とは無縁の天の玉座から降りたち、人に仕える者となれらたのです!愛はもっとも弱くもっとも強いものなのです。なぜなら、人間の弱さは全能の神を惹きつけ、全能の神を無力なものとするからです!

人間にはなんという途方もない価値があるのでしょう。天使たちでさえ、このような恩恵にはあずかっていません。神がここまで愛しておられる被造物は、人間“だけ”なのです。

今日は、典礼上では聖母の誕生日。この神の愛の素晴らしい神秘を実現するために選ばれた乙女マリア。そして、自由意思をもって神の救いの計画にすべてを捧げた乙女マリア。彼女という存在をわたしたちのために与えてくれた主に感謝します!聖母という存在を思いめぐらすと、主の愛の深さを褒めたたえずにはいられません!聖母という存在があるからこそ、私たちは神の愛の深さをますます理解できるのです。そして、それがカトリックの偉大な財産なのです。

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