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Medjugorje / 4. Miracle


そうこうして、メジュゴリエでの日々も終わりに近づき、翌日帰国を迎える日となりました。


朝、目が覚めると、なぜかものすごく「告解しなくては!しかも、これまで告解したことをもう一度心から告解しなくては!」という気持ちが湧いてきました。「告解(こっかい)」とは、自分の犯した罪を悔やみ、隠すことなく正直に告白し、イエズスの地上の代理者である神父の権能を通して、神さまに許してもらうことです。よく映画なんかで、ブースに入って「神父さま、私は罪をおかしました!」というシーンがありますが、あれです(あんな演技ったらしいことはしませんが・・・)。 でも告解では、神父という「スクリーン越し」にイエズスと直接出会うんです。すごい恵みです。 


日本でもしょっちゅう告解していたし(でも心はこもってませんでした・・・)、わざわざこの村ですることもないし、東京に戻ったらいつもの神父さまのところで告解しようと思いました。しかし、「ここで告解しなくてはいけない!」という、また強い「促し」がやってきて、それがなかなか消えません。とりあえず朝のミサに行くことにしました。 




「もし告解するのなら、あの神父さんにしよう。」と心に浮かんだ神父さんが一人いました。まだ若くてちょっとびくびくしてるのですが、ミサ中は神秘家のようにすごく深く丁寧に祈っていたので、「あの人だ!」と直感的に分かったんです。世界のあちこちから来る巡礼団のために、午前中のミサは、毎時間各国語で捧げられます。ボクはいつも英語のミサにあずかってました。教会に着くと、あまりにもたくさんの人がいて座れないので、通路側に立っていました。ミサが始まりましたが、件の神父さんが祭壇上に見当たりません・・・。「もしかして、巡礼団と一緒にもう帰国されたのかな、だったら告解できないな・・・。」と思いました。


そんな中、ミサ中にふと顔を上に上げると、ある一枚のステンドグラスが目に入ってきました。 そのステンドグラスのモチーフは、十字架上でなくなられたイエズスが頭を垂れ、その足元に聖母が抱きついているというデザインのものでした。ちょっと抽象画っぽいモダンなステンドグラスでした。 それを見た瞬間、心の中にイエズスと聖母が語りかけてこられたのです。




彼らの声を直接聞いたのではありません。何と説明していいかわからないんですが、インスピレーションを通してと言ったらいいのか、心に直接語られたといったらいいのか・・・。 


イエズスが言われました。
あなたは、毎回罪を犯すたびに、私をこのように十字架の上で殺しているのだよ。 だけど、私はあなたを愛しているし、赦している。


聖母も同じように言われます。
あなたは、毎回罪を犯すたびに、私の最愛の子をこのように十字架の上で殺してしまっているのですよ。 けれど、私はあなたを赦していますし、愛しています。」 


この言葉を内的に聞いたとき、ボクの心にはこれまで犯してきた罪の重さが走馬灯のように回顧され、洪水のように涙が溢れてきました。「いったい自分は何をしてきたんだろう?大したことないと思っていたことでも、どれほどイエズスとその母を傷つけてきていたんだろう?」 自分の罪深さをまざまざと痛感させれたのです。同時に、深い海のような神の愛が、ボクをすっぽり包み込んでくれているのが分かりました。 


ミサの間には、司式する神父と信徒が呼応する箇所が多々あります。  
神父: 「主はみなさんとともに。」  
信徒: 「また、司祭とともに。」 
 いつも何気なくソラで発している言葉なのですが、このときは違いました。その何気ない言葉一つ一つに神の愛を感じ、その言葉が発せられるたびに心が愛の槍で突き刺されたようになって、聞く度に涙が溢れ出てくるんです。 




ミサのあと、「これは“絶対”今日告解しなくてはいけない!」と思いました。でもあの神父さんはいないのです・・・。 



to be continued...




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+ 4. 奇跡 




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