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Magnificat
visitation


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先日の日曜日の福音書のテーマは、「へりくだるものは高められる」ということ。
神父さまは説教で、この生き方を完全に実践されたのは、聖母であるとおっしゃいました。そして、それはマグニフィカットの祈りの中にすべてこめられていると言われました。

マグニフィカットの祈りを歌にしたもののなかでも、ボクが一番好きなのは、John Michael Talbot神父の作品。聖母の気持ちを静かで素朴、かつ、厳かに歌っていると思います。メジュゴリエに来るアメリカの巡礼団がよく歌ってました。






あと、賛美を歌を捧げるとき、ヘブライ語の歌ほどボクの心をうきうきさせるものはありません。メシアニック・ジューって知っていますか?ユダヤ人だけど、イエズスをメシアとして受け入れている人たちです。彼らが歌うきれいなヘブライ語の賛美の歌の中で、一番踊りたくなるのはこの歌ですね!ゼカリア書の聖句です。

Roni Roni Bat Tzion, Hariu Yisrael, Simchi V’altzi B’chol Lev, Bat Yerushalayim! 
(ロニ、ロニ、バット ツィオン、ハリウ イスラエル、スィムヒ ヴェアルツィ ベホル レヴ、バット イェルシャライム)
喜べ、喜べ、シオンの娘よ、叫べ、イスラエルよ、心のそこから喜び歌え、エルサレムの娘よ!

Hesir Hashem Mishpataich, Pina Oyvech, Melech Yisrael, Adonai, B’kirbech Al Tirai.
(ヘスィル ハシェム ミシュパタイッヒ、ピナ オイヴェッヘ、メレヘ イスラエル、アドナイ、ベキルベッヘ アル ティライ)
主はお前の罰を取り上げ、敵を打ち倒された。彼はイスラエルの王であり主。彼は全能で、私たちの間におられる! 

このメロディーに日本語で訳をつけるとすると、こんな感じですかね。 

喜べ、シオンよ、叫べ、イスラエル、力の限り喜び歌え、エルサレムよ!
主はあなたの罪を取り上げ、敵を砕く。我らの王、すべての主、今ここに、おられる!


(Roni Roni Bat Tzionは3:30から)






聖歌 comments(14) -
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Comment








今、聴かせて頂きました!

最初のマグニフィカットの曲は、
聖霊刷新の集いでも時々歌われていますね。
「聖なる〜聖なる〜聖なる主の御名〜♪」
ここだけ思い出して歌いました。

「RONI RONI」、いいですね!
何となくスラブ民謡(ロシア民謡?)っぽい感じもします。
ヘブライ語は全く分かりませんが、言葉の響きがいいですね。
Taddyさんの踊っているところ、見たい!

ユダヤ人にもキリスト教徒はいると思っていましたが、
「メシアニック・ジュー」と呼ぶんですね、知りませんでした。

これは多分、ゼファニヤ書3章14〜15節かな?
ちょうど昨日マリア様から頂いた所です。
その次の曲は詩編121かなぁ…
from. からやん | 2010/08/31 08:08 |
>> からやんさん

あ!たしかにこの歌(Holy Is His Name)、日本語になっていたかも!!からやんさんに言われて思い出しました。出だしは「我が心喜びあふれ〜♪」じゃなかったでしたっけ?いつも感じるのは、原曲の美しさが日本語にするとなくなっちゃう気がするんです。その逆も然り。言語それぞれの持つ音にあわせてメロディーもできてるからでしょうね。

「Roni Roni」いいでしょ?喜びにあふれて踊りたくなるメロディー☆確かに中東のメロディーとスラブ系のメロディーって、どこか似てるとこがありますよね。ヘブライ語の音感、ボクも好きです。イエズスの生きていた時代にはすでにヘブライ語は儀式でのみ使われていて、一般大衆はアラム語だったみたい。でも、言いかえれば、神聖な言葉として扱われていたということですね。

ユダヤ人でキリストを信じている人が全員メシアニックジューではないですが、彼らの共同体がかなり増えているよう。同時に、「裏切り者」として迫害も受けてるみたいですね。ユダヤ人はイエズスを「イェーシュ」と呼ぶけど、彼らは「イェシュア」と呼びます。きっと、「イェーシュ」は差別的に歪曲された名前なんでしょうね。

旧約にはうといので、この歌の歌詞がどこから来ているのか教えてもらえて感謝!!
from. taddy | 2010/08/31 10:29 |
いいですね〜、上のマリア様の歌は、私も大好きです
聖霊刷新では、数少ないマリア様の歌でよく歌います(今は、ヨゼフィーネさんがたくさんマリアさまの歌をいただいているのでうれしい)
アメリカの昔のテレビ局でメジュゴリエの取材をして、小さな部屋で青年たちがゴスパのご出現を受けるときに編集でバックミュージックに流れていました、それをみると泣けるんですよね。

そのフイルムに感激してメジュゴリエにあこがれたんですけれど。

下の賛美は、ダビデの賛美ですね
みんな、キリスト者でみんなで賛美している、すばらしいです。

ブラジルでは、このような同じ規模のカトリツクの賛美があります
DVDをみたのですが司祭様が歌い歌も作られるようです
それもすばらしいんですよ。
大人数で。
from. ガビィ | 2010/08/31 14:39 |

>旧約にはうといので<

なに、なに?
聞き捨てならない言葉!

これ! たー坊!
ちゃんと旧約も噛み砕いてお飲み!
from. ヨゼフィーネ | 2010/08/31 20:09 |
>> ガビィさん

「神の民」であったイスラエルの音楽って、神を賛美するために発展した音楽なんじゃないかなと思います。だから、賛美の歌を捧げやすい気持ちを作るメロディーなのでしょうね。軽快な部分もあり厳かな部分もあり神秘的な部分もあり。

「Holy Is His Name」はホント何度聞いても心やすまるメロディーで、目を閉じるとすぐにメジュゴリエの平安と風を感じます。ガビィさんが見たというその番組、見てみたかったなー。

なんでしょうね。ボクが聖霊刷新に足が向かないのは、祈りは感情を超えた部分にあるというカルメル的な認識があるためかもしれません。「気分が高揚している=よく祈れている」ではないので、感情要素を排除したところを追及しているからかもなー。
from. taddy | 2010/09/01 17:15 |
>> josephineまま

あぅ。教育ママだ w w w

そうそう、エミーナにこないだメール送っておきましたー。返事もくれましたー♪
from. taddy | 2010/09/01 21:20 |
教育ママ? あはは〜!


>「気分が高揚している=よく祈れている」<

たぶん、Taddy君は賛美のことを言ってるんだと思うけど、聖霊刷新のやり方で気分が高揚するということは、私はないけど、他の人はどうなんだろう?

私は、「高揚」とはまったく逆の状態になりますよ。
イエズスの中にすっぽり沈んでしまうか、聖霊に包まれるか、という感じです。
簡単に第4や第5の部屋に入れちゃうし、ときには第6の部屋にもね。(第7はまだ経験ないけど)

私が聖霊刷新に行くようになったのは、実はこの体験のせいなのです。最初に体験したとき、そばにTaddy君いたわよ。
ヨゾ神父さまのところで按手していただいた時よ、覚えてる?
あれから、どんどん深く体験するようになりました。

はじめの頃はそれがどういう状態なのか自分でもよくわからなかったけど、何年も念祷を続けてきてやっと入れた部屋の状態みたいだなあ、と気づいてからは、按手してくださる人を捜し求めていました(笑)。

だって、私が努力しなくても、聖霊がしてくださるからね。

あらまあ、怠慢な教育ママですこと!


from. josephine | 2010/09/02 06:13 |
気分が高揚ってよく言われることですが

それ、誤解だと思っていますよ。
from. ガビィ | 2010/09/03 09:27 |
ガビィ姉様は、ミオさんの黙想会の時、
「あ〜〜このまま天に召されても…と思うほどだった」と
自ブログで書いておられましたね。
おそらくヨゼ姉様もガビィ姉様も、神の霊の慰めの中に浸される
特別な御恵みを頂いているのでしょう。

小金井も、3月のKU教会での集いも素晴らしかったと思います。
ただ、数ある聖霊刷新系の集いで「?」と感じる所も
確かにありますよ。

たとえば「私はカトリックのマリア信心が苦手」とか
「マリア様が恐くて嫌」とか、「マリア様への信心が理解できない」
というカトリック信徒の方々が、
「ここへ来て初めて自由に祈れるようになった」と口を揃えている
聖霊刷新の集いも、実際に知っています。
また、そこのリーダー達も、マリア様に意識を向ける事には
あまり関心がないようです。

教皇様は、「聖母無しに聖霊刷新は無い」と
はっきり教えておられます。

そこで祈っていると、何か、神の霊ではないものの気配を
強く感じる事があります。
そしてそこにも、トランス状態になろうと必死な人々と、
実際にトランス状態と見える人々がいます。

だから、「誤解」と言い切ってしまって良いのかどうか、
迷うところです。
from. からやん | 2010/09/03 12:01 |
<あ〜〜このまま天に召されても…と思うほどだった>

これに関しては、音楽をとおしての癒しだと思っています
それまで、すべてを捧げますと言いながら心の底で気がかりな1点がとても重かったのですが、ゆだねきることが無理なくできたのでしょう、そのあととても平安をいただきましたしそれがつづいています。

<また、そこのリーダー達も、マリア様に意識を向ける事には
あまり関心がないようです。>

これは、そこまで言い切っていいのかどうか
人の信仰の中身はわからないものですし
あなたがセミナーに行って聖霊のみたしをうけたグループの
リーダーは、いつもロザリオを祈っていますし
マリアさま抜きでは考えられないともう10年もまえから教えてくれました。

<たとえば「私はカトリックのマリア信心が苦手」とか
「マリア様が恐くて嫌」とか、「マリア様への信心が理解できない」
というカトリック信徒の方々が、>

まだ、マリアさまのことが分からない人もカトリックの中で多いのは知っています、それは聖霊さつしんだからではなくて
教会のなかにたくさん出会っています
彼らのために祈り、彼らがマリアさまにであって行くうれしい
体験もたびたびしています。


<教皇様は、「聖母無しに聖霊刷新は無い」と
はっきり教えておられます。>

カトリックの場合私も同じ考えで、それは強く思っています。
いままで、大会でシスターブリージとか
カンタラメッサ神父さまとか
フイォ神父さまとか
沢山の聖霊さつしんの大会で講師をしてくださったかたがたは
全員、マリアさまについての講話の時間をおもちになり
マリアさま抜きでは終わったことがありませんでした。


<そこで祈っていると、何か、神の霊ではないものの気配を
強く感じる事があります。>

私も強くは感じませんが、言われることは分かります。
聖なるところに敵もくるとヨゼフィーネさんが教えてくれました。

<そしてそこにも、トランス状態になろうと必死な人々と、
実際にトランス状態と見える人々がいます。>



今は、お亡くなりになられた癒しのミサをしてくださった
神父さまは、神の愛に浸ることのできる恵みがあったのでしょうね
ふわふわと両手をあげて賛美して歩く様子があったときいていますが

私どものシスターは、神父さまを見て喜びがつたわり涙が出たと言わていましたよ。

トランスとは、似て非なるものなんだと思っています。










from. ガビィ | 2010/09/03 18:39 |
うーん、タディさんのブログでこんなに長々書いていいのかな、と
思いますが、1つだけ言えるのは、ヨゼ姉様とガビィ姉様は
神様から大きな賜物を頂いたのだという事です。これに尽きます。

危険性について把握するのは、恐れるためではないし、
批判的に見るためでもありません。
安全に聖霊と共にお祈りできる場所と方法に導いて頂けるよう祈り、
聖霊刷新は聖母と共にあるべきである事を、
共同体の人々に伝えるためだと思いますよ。

満たしの時のリーダーはロザリオを信奉しておられるんですね。
情報ありがとうございます。
他のメンバーにも勧めて下さったらきっとマリア様も喜ばれますね。

タディさんに申し訳ないので、これで。
from. からやん | 2010/09/03 19:21 |
Taddy君のブログでこんな話が始まるとは思わなかったね。
でも、あなたへの答えもこの会話の中にあるかもしれませんから私にも書かせてね。


からやん曰く:

>安全に聖霊と共にお祈りできる場所と方法に
>導いて頂けるよう祈り、
>聖霊刷新は聖母と共にあるべきである事を、
>共同体の人々に伝えるためだと思いますよ。


本当にその通りで、実はそれはもう一年前から始まっていると思います。
からやんも小金井でその関係のことをメモに書いてくれましたよね。

ガビィのいうように、カトリック信者の中でも「聖母は苦手」、とか「マリアなど必要ない」という人すらいます。
ですから、聖霊刷新の人だけがマリア様を排除しているとは限らないと思います。

ただし、プロテスタントから流れてきた聖霊刷新のやり方をしているところは、そうかもしれませんね。

ずいぶん前のことですが、今はなきビル神父(ドイツを聖霊の風で一新した方)の黙想会の様子をカトリックテレビでみたことがあります。
それはスイスのどこかでの黙想会でした。

講話を始めたビル神父さまの第一声が、「ここには聖母のご像もご絵すらもないのか?」でした。
そして聖母へのとりなしがどれほど大切かを説かれました。

カトリックの中での聖霊刷新は独自の始まり方をしました。
そのやり方のグループはマリア様を大切にしていますよね。
聖グリニョンのおっしゃるように、「誰かの心の中に聖母を見つけたら、聖霊は一目散にその人のところへ行く」って感じで。

私が聖霊刷新のグループを探しはじめてから見つけるまで、相当時間を要しました。

「ご聖体による信仰の刷新」というのがイメージでした。
「ご聖体」「聖母」「賛美」があるところが必要条件。

そして見つけたのがシスターマルガリタでした。
シスターは按手もしてくださいますしね。

シスターのところに5年くらい通って、次にミオのところへ導かれました。

ミオのやり方も同じ。
「ご聖体」「聖母」「賛美」ですね。

もちろん、シスターマルガリタのところもミオのやり方も、「みことば」「祈り」「痛悔をもっての告解」「ごミサ」は切り離せません。

だから大きな実りがあるのですよね。

他の霊については、ミオは次のセミナーで話してくれると思いますから、他の霊の見分け方や対処方法などももっとはっきりすると思いますよ。



from. Josephine | 2010/09/03 21:32 |
「ご聖体」「聖母」「賛美」による聖霊刷新。

う〜ん、すごくホッとしますね。
多分私の霊魂が導かれている聖霊刷新は、これなのでしょう。
タディさんが招かれている所も、ここかも…


>その関係のことをメモに書いてくれましたよね<

はい、小金井ではなく、
Sr.M黙想会から1ヶ月後位に送ったメールで
和歌子さんにお話したと思います。

ただ当時は、神様から頂いた『識別』というより、
後で頂くために予め備えられた洞察や感知という「人間的能力」に
神様の助けがあっただけなのでしょう。


神様からの『識別』『知識』とは、一言で表すなら、
「その人(その人々)が、イエズス様とマリア様から
どれほど愛され、望まれているかを知る御恵み」なのだと
昨日レスを書きながら、気が付く事ができました。

ヨゼ姉様、ガビィ姉様、どうもありがとうございます。
タディさん、感謝します。
from. からやん | 2010/09/04 07:54 |
>> josephineママ、ガビィさん、からやんさん

わぉ!ちょっと目を離していたスキに(笑)

いえいえ、ここでいろいろな話をしていただけるのは大歓迎です!知らない事について知ることも大事だし、他のところからどう見られているかを知ることも大事だし。

ボクもjosephineママやガビィさんは、主から大きな恵みをいただいているんだと思います。

聖霊刷新自体が悪いのではなく、そこに来る人個人個人の問題かな。ボクがお邪魔したことのある集いでは、からやんさんのおっしゃっている通り、ちょっと「??」な人を結構見かけたし、賜物を自分の能力だと勘違いしている風な方々もいました。あと、ミサにも賛美の仕方を持ち込む方々も見受けられます。きっと恵みがたくさんある分、敵もたくさん暗躍しているのかもなと思いました。

でも、そういう危険性は、聖霊刷新に限ったものではなく、信仰のどういう場面でも起こりえるものですね。

カトリックの素晴らしいのは、一つの信仰でありながらも、多様性を懐柔している点だと思います。人がひとりひとり違うように、霊性もいろいろあって良いんだと思います。だから、自分にあうものを選んで神さまに近づいていけばOK。

ボクの場合、聖霊刷新が自分のテイストにあわないだけなんで、わざわざ聖霊刷新の集いに行く必要がないんですね。「祈るときは戸を閉めて、隠れたところにおられる父に祈りなさい」とイエズスのおっしゃったことが、個人的には一番しっくり来ています。

もちろん、聖霊刷新に参加されている方々もふだんはそうやって祈られているとおもいますけどね!
from. taddy | 2010/09/04 12:28 |
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