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Medjugorje / 3. At Krizevac


カトリックには、「十字架の道行」という伝統的な信心業があります。 


 これは、ゴルゴダの丘までのイエズスの受難の14の場面を、ひとつひとつ思いめぐらしながら祈る信心業です。 クリージェヴァッツには、この「十字架の道行」が頂上に至るまでに道中に設置してあり、ここでも多くの「奇跡」が起きてると聞いていたので、とりあえず登ってみることにしました。自分にも何か起こらないかなってちょっと期待してましたけどね(笑) 


(十字架の道行の一場面)


山頂にある大きな十字架は、村人が信仰のしるしとして、男も女も子どもも老人もみなでコンクリートを運んで作ったものです。この中には、ローマ(=バチカン)から贈られた本物の十字架の破片(聖遺物と言います)が埋め込まれています。 


 この地域周辺の人たちは、素朴な人たちですが、岩のように固い意志を持ってます。オスマントルコの支配下で「改宗か!それとも最下層の生活か!」と迫られたとき、先祖から守ってきた信仰を捨てて改宗することを善しとせず、断固拒否し、敢えてしいたげられた生活を送ることを選んだ人たちです。トルコ圧政の時代、多くの神父たちは殺されるか、その前にこの地を去っていました。ですが、フランシスコ会の修道士たちだけは、この地の人たちのために命がけで留まり続けました。しかし、ミサを捧げたり神父をかくまう者がいれば、死刑にされてしまいます。なので、神父はトルコ風のヒゲをはやし、家々を訪問してひっそりとミサをあげていました。 


また、今でも神父を呼ぶとき、地元の人々は「〜おじさん」と呼びます。トルコの憲兵が神父をかくまっていないか突然調べに来ても、親たちは子供たちに「ダルマチア地方から親戚の○○おじさんが来ていたと答えなさい。」と教えていたからです。もちろん、命をかけて先祖たちを世話してくれたフランシスコ会士たちへの尊敬と親愛の情も込められています。


さて、クリージェヴァッツを祈りながら登ると、頂上までは若い人でも1時間くらいかかります。ものすごくゴツゴツした岩山なので、予想以上に大変です。そこを巡礼者のお年寄りがカモシカのようにひょいひょいと登っていくのです!驚きました。中には「償いのために」と裸足で登るツワモノもいます。信仰は人を若くするのでしょうね。


(クリージェヴァッツの山道)


山の上まで辿りついたとき、すごく嬉しかったですね。写真で見た十字架が目の前にあるし、山登り特有の達成感というか爽快感というか。この地は空気が澄み渡っているので、すべてが美しく心地よいです。神さまとお話して感謝の祈りをささげたり、ロザリオを祈ったりして時間を過ごし、しばらくして下山しました。


下山途中、韓国から来ている巡礼団が目に入りました。彼らは地べたに座り、目を閉じ、両手を天に向けて広げ、大きな声でとても感傷的に祈っていました。傍目からは、まるでいかがわしい新興宗教団体のように見えました。同じアジア人として、他の人たちがボクも彼らの一員だと思ったりしないかな・・・とイヤな気分になるのと同時に、その巡礼団に対してなにか軽蔑的な感覚が起こり、とにかくさっさと降りようと思いました。


自分の中に、韓国の人たちを嫌っていたという意識があったことも否めません。ちょうどその巡礼団の真横を通りすぎたとき、祈っていた一人の婦人と目があいました。みんな目を閉じて大声で祈っているのに、その人だけが目を開いて、ボクの方を見て微笑んでるんです。




その微笑がものすごくあたたかくて美しく、一瞬にしてボクの心を溶かしてしまい、下山している間ずっと涙がとまりませんでした。それは、あたかも聖母が彼女を通して微笑まれたようで、「誰をも差別してはいけませんよ。みんなを愛しなさい。」と言われているようでした。





to be continued...




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+ 4. 奇跡 




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