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Fr. Sudac / Confession and the Ten Commandments: 8

joseph



第8の掟は、「隣人に関して偽証してはならない。」です。

わたしたちは皆、ここでつまずきます。全員です!

自分のことをジョークにしたり笑いの対象にすることは、人生を上手に生きて行く中で、時に必要な場合もあるかもしれません。

しかし、自分以外の誰かを傷つけるようなやり方でウソをついているのであれば、その人に災いがありますように!その人は、すぐに己を改めるべきです。陰口をたたいたり中傷したりして、誰かの不利益となるウソをつくことは、相手の未来にまで悪影響をもたらします。おそらく、みなさんもそのような出来事を目にしたことがあるでしょう。

特に小さな田舎社会では、そういったことがよく起きています。「退屈だから、気晴らしに誰かの悪口でも楽しみましょうよ。」 何かの噂を聞きつけると、そこに少し作り話を加えたりするのですが、悪口を言われている当の本人の耳元に届くころには、とてつもなく大きなホラ話に成り果てているのです。そして哀れな被害者は、作り上げられたウソを背負って生きていかねばならなくなるのです。かといって、そういう悪事を行っている人たちがいるのだという忠告を、誰も被害を受けている人にしてあげようともしないのです。なぜでしょうか?

忠告することで、その被害者が立腹し、すべての責任をあなたのせいにするかもしれないと恐れているからです。

人々はウソをつき、そのウソをまき散らし、被害者がその作られたウソの世界の中で生きて行かざるを得ないような状態に追いやっています。それなのに、その人を助けようとしないのですか?

もしかすると、わたしたちは、その被害者の人と一緒に祈りにあずかってるかもしれません。けれど、彼に近づいて、「こんな悪い噂が広まっているんだよ・・・」と正直に教えてあげようともしません。なぜなら、自分の評判に傷がつかないよう、自分を守ることしか考えていないからです。自分自身と自分自身の生活のことしか考えていないからです。

ですから、わたしたちは今日、誰かの奴隷になりさがってしまい、また、社会を取り巻く環境の奴隷になりさがってしまっているのです。誰ひとりとして、もはや真実を語らないのです。誰も!

しかし、それはキリスト教の教える生き方ではありません。聖書が何と言っているか、挙げてみましょう。「もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、行って、彼と二人だけの所で忠告しなさい。もし聞いてくれたら、あなたの兄弟を得たことになる。もし聞いてくれないなら、他に一人二人を、一緒に連れて行きなさい。それは、二人または三人の証人の口によって、すべての事柄が確かめられるためである。もし彼らの言うことを聞かないなら、教会に申し出なさい。」

お子さんたちが薬物中毒になってしまったご夫婦の話です。自分の子どもたちがドラッグを使用しているということを一番最後に知ったのが、このご夫妻でした。近所の人たち、友人たち、親戚や兄弟、全員、この子たちがドラッグを使っていることを知っていたのに、みんな黙っていたのです。ついには薬物中毒となってしまいましたが、それでもなお、誰もこのご夫妻に教えてあげなかったのです。なぜなら、自分たちの評判の方が、この子どもたちの評判より大切だからです。

ウソはいたるところにあふれています。真実を語る新聞なぞ、もはや存在しないも等しいです。人類はウソで凝り固まっています。そして、「ウソの父」が誰なのか、誰しもが知っています。このことについては、明日お話します。どうか、よく耳を傾けて聞いてください。




to be continued



 

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