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Medjugorje / 1. Prologue


ボクがメジュゴリエで体験した回心の奇跡についてシェアしたいと思います。長くなるので、数話に分けますね。 

 
「こと」は1998年の秋に起こりました。 


ボクは94年に洗礼を受けたので、クリスチャンとして4年経った頃ですね。正直に告白します、 当時の生活と言えば、毎週土曜には六本木へ繰り出し、外国人や業界の友だちとクラブやパーティ三昧!物欲も強くて、毎週のように服を買ってました。一方、週末はかならずミサに行っていました。でも、ミサに行くのも、「信者としての勤め」だというくらいの認識だったんですよね・・・。聖書は全く読んでいなかったし、祈りなんて一年のうち何回するだろう程度。全然心もこもってませんでした。 


カトリックの洗礼を受けたは良いものの、自分にとって神さまの存在はすごく遠かったのです。そもそも、髭面って苦手なんで、生理的にイエズスのことも好きになれないし(イエズス、ゴメンナサイ・・・)。イエズスの教えは素晴らしいとは分かりつつも、聖書に書いてあることがなかなか受け入れられません。 


特に「十戒」。「あなたは私以外を神としてはならない。」とある箇所が、すごく心に引っかかっていたんですよ。「神さまって愛でしょ?神さまって謙虚なんでしょ?では、なぜ自分以外を拝むななんて言えるんだ?確かにあなた以外に神はいないと思ってるけど、自分で言うのってどうなの??ちょっと傲慢なんじゃないの??」という感じでしたね(笑) 




でも、だんだんと分かってきました。聖書は文字面だけ、あるいは、文字通りにだけ受けとっちゃいけないんだと。言葉の裏にあるものをしっかり見据えないといけません。神さまは愛です。そして僕たちのパパです。それも極上のパパです。親は子どもを愛しているので、子どもが間違った道へ足を踏み入れて、破滅的な人生を送ってもらいたいとは思わないはず。それは、神さまでも一緒。つまり、「危ない人」についていって、人生を破壊しないよう、予め親としての愛で「パパ以外の人についていっちゃダメだぞ!」と言ってくれてるんだということが分かりました。 それでもまだまだ神さまの存在は遠かったですね・・・。


では、誰が自分を助けてくれていたかというと、聖母です。ボクは生粋の「マリアっ子」でした。幼稚園はプロテスタント系(バプテスト)だったけど、そのころからすでに聖母に惹かれていて、幼稚園児ながら、カトリックになりたいと思っていました。そして、聖母はその後の人生もずっと手を引っ張って一緒に歩んでくれました。ちなみに、実家はクリスチャンじゃありません。それにしても、こんな素敵なママはいません。しかも「イエズスのママ=ボクたちのママ」です!聖母は慈愛に満ち溢れた顔をいつもしていますが、ところがどっこいニコニコしながらも“かなり”厳しいしつけをする教育ママです。そのことはおいおいに。 



to be continued...




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+ 4. 奇跡 




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