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Divine Mercy / Saint Faustina and Pope John Paul II
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どちらも現代を代表する、ポーランドから現われた偉人です。両者の縁は切っても切れません。 


聖ファウスティナの残した「日記」は、誤った翻訳が発端となって問題のある内容とみなされてしまったり、神学的だけでなく教会政治的な種々の要因もあいまって、ローマによって発禁リストに入れられてしまいました。その状態が20年間も続きます。しかし、禁を解いたのが、カロル・ヴォイティワ大司教。後の、ヨハネ・パウロ2世です。 


彼がクラクフ(ポーランド第3の都市)の大司教に就任すると、ファウスティナの幻視や「日記」に残されている内容について、再度調査を開始しました。その結果、問題は見受けられないとして、神のいつくしみの信心が許可されました。ヨハネ・パウロ2世の後を継いでクラクフの大司教となったフランツィシェク・マカルスキ枢機卿は、「ファウスティナは私たちが忘れてしまっていた福音の意味を再び思い出させてくれました。」と語っています。 


紆余曲折の時期を経て1993年にファウスティナが「福者(聖人の前段階)」とされたのも、また、大聖年にあたる2000年に、第三千年紀最初の「聖人」として彼女が列聖されたのも、ヨハネ・パウロ2世の在位時代。そして、イエズスがファウスティナに語って望んだとおり、復活祭の次の日曜日を、正式に「いつくしみの主日」として定めることを公布したのもヨハネ・パウロ2世その人でした。(「神のいつくしみの主日」を公布したのも、ファウスティナの列聖式時。) 


「神から現代に与えられた贈り物であり、ポーランドの大地から世界の教会に与えられた贈り物であるファウスティナ、神のいつくしみの深遠さを理解できるよう、また、神のいつくしみを生き、兄弟姉妹の中でその証となれるよう、私たちを助けてください。光と希望に満ちたあなたのメッセージが世界のいたるところに広まり、罪びとを改心へと促し、争いや憎しみから個人も国家も解き放ち、真の兄弟愛を実践することができますように。今日、あなたとともに復活されたキリストの御顔に目を注ぎ、あなたの信頼に満ちた祈りを私たち自身のものとし、確固たる希望を抱いて言わせてください。キリスト・イエズスよ、あなたを信頼します!イェズゥ、ウファム トビエ!(ポーランド語で、「イエズス、あなたを信頼します!」の意味)」 (2000年4月30日の列聖式の中での教皇の祈り) 2000年4月30日 
列聖式での説教全文 (ヴァチカンの公式サイトより)


また、イエズスがファウスティナにこう語っています。 


わたしはポーランドに特別な愛情を抱いています。わたしの意志に忠実であり続けるならば、わたしは彼女(=ポーランド)を力と聖性のうちに高めましょう。彼女(=ポーランド)から、わたしの再臨を整えるきらめきが現われるでしょう


この予言が何を指しているのか、確証的なものは何もありませんが、ポーランドから初めて選ばれた教皇であり、世界に大きな影響を与えたヨハネ・パウロ2世のことだと解する人も少なくありません。

神のいつくしみの信心 comments(2) -
Divine Mercy / The Life of Saint Faustina
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聖ファウスティナは、1905年、ヘレナ・コヴァルスカとして、ポーランドのグォゴヴィエツという寒村の貧しい家庭に生を受けます。当時はロシア帝国領土の一部でした。ちなみに、「ファウスティナ」は修道名です。 


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10人の兄弟姉妹がおり、上から3番目。12歳から15歳までの3年間だけ学校に通いましたが、家計を支えるため、家政婦として働き始めます。非常に信心深く、7歳のときに修道女になる召命を感じていて、18歳のとき、自分の務めは神の招きに応えることだと確信しました。しかし、働き者で両親のお気に入りだったため、その願いは彼らに聞き入れられませんでした。 


願いが叶わない失望感の中で、修道女になる促しを忘れようと世俗的なことにうつつを抜かすようになったある日。若者たちのダンスパーティーに参加していると、急に彼女の前にイエズスが現われます。イエズスは無数の傷に覆われた受難の姿で、ヘレナにこう語りかけました。 


いつまでわたしはあなたに我慢すれば良いのでしょう?いつまであなたはわたしを避け続けるのでしょう?」 


彼女はダンス会場を抜け出し、近くの大聖堂へ走って向かいました。祭壇の前で床にひれ伏し、どうすればよいのかイエズスに祈り尋ねると、心の中にイエズスの声が聞こえました、 


すぐにワルシャワへ行きなさい。あなたはそこで修道会に入るでしょう。」 


家族には何も告げず、すぐさまワルシャワ行きの列車に乗り込みました。ワルシャワには親戚も知人もいません。修道会をあちこち訪ねて歩き回りますが、ことごとく断わられます。「いつくしみの聖母修道女会」を訪ねたとき、最初断わられるのですが、会のマザーが思い直し、この家の主である方に伺いなさいと彼女に告げます。ヘレナがチャペルに行って「この家の主である、イエズス、わたしを受け入れてくださいますか?」と祈ると、「あなたを受け入れます。あなたはいつもわたしの心の中にいるのですよ。」とイエズスが答えました。その事をマザーに告げると、「主が受け入れてくださったのなら、私たちもあなたを受け入れます。」と彼女を会に迎え入れてくれました。1926年、準備期間を経て晴れて修道女となり、「至聖なるご聖体のマリア・ファウスティナ」という修道名を戴きました。 


それからほどなくして、彼女は天からの様々な幻視を受け始めます。1931年2月22日、イエズスが「いつくしみの王」として彼女の前に現われます。彼は白い衣をまとい、一方の手は祝福するために上げられ、もう一方の手は胸の部分に触れていました。そして、衣の下から、赤と白い光線が発せられていました。彼はファウスティナが見たビジョン通りの御絵を描くように頼みます。けれど、幻視の正当性について簡単には判断できないため、長上たちはその願いに躊躇しており、実際に御絵が描かれるまでには時間がかかりました。 


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イエズスは、彼女に「協力者」を送ると約束し、やがて、ミハウ・ソポツコ神父が彼女の贖罪司祭となります。当初、ファウスティナの話す幻視にとまどい、疑い、精神医による心理テストまで受けさせましたが、根気強く神学的側面から識別し、無学の修道女が神学の大家が書き残したような深い神秘を語るにつけ、最終的には彼女の最大の協力者となりました。幻視の内容を調べるため、日記をつけさせたのは彼でした。そのおかげで、私たちはイエズスの愛にあふれるメッセージを読むことができます。イエズスが願った御絵が描かれたのも、彼の協力があったからこそです。 


修道会内でのファウスティナは、ごくごく普通の修道女としての生活を送っています。幻視については、数名の長上たちとソポツコ神父以外、誰も知りませんでした。ワルシャワ、プウォック、ヴィリニュスにある修道会支部を転々とし、料理番や庭師、門番と、与えられた仕事を忠実にこなしていました。一方、彼女は多くの逆境にさらされたり、同僚のいじめにあったりと、ありとあらゆる苦しみを受けていました。けれど、すべてを罪びとの改心のための犠牲として捧げます。


あるとき、世間で犯されている多くの罪について泣いていると、イエズスが現われて彼女を慰めました。 「娘よ、泣かないで。あなたの涙を黙って見ていることなぞ、わたしにはできません。おなたの祈り求めるものはすべて与えましょう。だから、泣くのはおよし。」 


晩年のファウスティナは結核に冒され、病床に伏しますが、それをも罪びとたちの改心のために喜んで受け入れます。1938年10月5日、彼女の苦しみは終わり、天に召されました。享年33歳。最後まで、神の愛に背を向けた人たちをイエズスの御心へと導くため、己のすべてを捧げつくした人生でした。 


死後、彼女の取次ぎによる多くの奇跡が報告され、1968年、ローマによる列聖調査が始まります。1993年4月18日、「聖人」の前段階の「福者」として、そして、大聖年の2000年4月30日(その年の復活祭の次の日曜日、つまり、"いつくしみの主日"です)、第三千年紀最初の「聖人」として。20万人もの人々がサンピエトロ大聖堂で見守る中で列聖されました。

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Divine Mercy / The Feast of Divine Mercy
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ファウスティナに与えられた幻視の中で、イエズスは復活祭の次の日曜日を「神のいつくしみの祝日」として祝うことを何度も願っています。 


復活節第二主日の典礼において、教会は告解の秘蹟の制定や神のあわれみについて伝統的に語ってきました。このため、イエズスの望みは理にかなったものです。そして、2000年4月30日、ファウスティナが聖人の位にあげられた列聖式で、ヨハネ・パウロ2世は教会が復活祭後の日曜日を「神のいつくしみの主日」として祝うことを正式に定めます。ここにイエズスの望みが成就したのです。 


「全世界の教会において、復活祭後の日曜日は“神のいつくしみの主日”と呼ばれる。」 (2000年5月23日 典礼秘蹟省) 


「神のいつくしみの主日」について、イエズスはファウスティナにこう語っています。 


この日に命の泉に近づく人は誰でも、罪と罰の完全なる赦しを受けるでしょう。(日記300) 


復活祭の次の日曜日に、この絵が荘厳に祝福されることを望みます。そして、すべての人がこの絵について知ることができるよう、この絵が公に崇敬を受けることを望みます。(日記341)   


この祝日は、わたしのいつくしみのもっとも奥底から生まれ出て、わたしのいつくしみのもっとも奥底において確かなものとされます。(日記420)   


ある日、わたし(ファウスティナ)はこのような言葉を聞きました。 娘よ、想像を超えるようなわたしのいつくしみについて、全世界に知らせなさい。いつくしみの祝日が、すべての人たち、とくに哀れな罪びとたちにとっての拠り所となることを望みます。この日、わたしのいつくしみの源は開かれます。わたしのいつくしみの泉に近づく人たちに、海のような恵みを注ぎます。告解の秘蹟を受けご聖体をいただく人は皆、完全なる罪の赦しを受けるでしょう。天の水門は開かれ、恵みがあふれ出します。わたしに近づくことを誰も恐れないように。たとえその人が最悪の罪によって緋のように赤く染まっていても。人間であろうと天使たちであろうと、わたしのいつくしみの偉大さを計り知ることは永遠に不可能です。世界に存在するすべてのものは、わたしのいつくしみの奥底から生まれているのです。わたしの意志につながっている人は皆、いつまでもわたしの愛といつくしみについて思い巡らせるでしょう。いつくしみの祝日は、人々のことを想うわたしの心の奥底から生まれ出でました。この祝日が復活祭後の日曜日に荘厳に祝われることは、わたしの望みです。わたしのいつくしみの泉により頼むまでは、誰も本当の平安を見出すことはないでしょう。(日記699) 


そう、この復活祭の次の日曜日はいつくしみの祝日です。けれど、わたしへの愛によって突き動かされた憐れみ深い行いが伴わなくてはいけません。いつも、そして、どこででも、隣人たちにいつくしみを示さなくてはいけません。このことを避けたり、この勤めから自分を放免することがあってはなりません。(日記742) 


いつくしみの祝日に告解を受け聖体を拝領する人たちに、わたしは完全な赦しを与えたいのです。(日記1109) 


「神のいつくしみの主日」の確立を願うイエズスの望みには、教会によって御絵が公にかつ荘厳に崇敬されることや、個々人の憐れみ深い行いや礼拝が含まれています。

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Divine Mercy / The Sacred Image
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御絵は、「神のいつくしみの信心」を構成する要素の中でも、一番最初にファウスティナに明かされたものでした。


1931年2月22日、イエズスは「いつくしみの王」としての姿で彼女の前に現われます。彼は白い衣をまとい、片方の手は祝福するために上げられ、もう一方の手は胸の部分に触れていました。そして、衣の下から、赤と青白い光線が発せられていました。イエズスは、ファウスティナが見たビジョン通りの御絵を描くように頼みます。 


あなたが見たとおりに絵を描きなさい。そして、「イエズス、あなたを信頼します。」という言葉を刻み込みなさい。わたしはこの絵がまずあなたたちのチャペルにおいて、それから全世界で崇敬されることを望みます。(日記47) 


この絵を敬う人は滅びることがないことを約束します。そして、すでにこの世において、特に臨終の床にあるときに、敵に打ち勝つことを約束します。わたしの栄光として、わたし自身がその人を守ります。(日記48) 


いつくしみの泉に繰り返しやって来て恵みを汲み取ることができるよう、わたしは人々に器を与えています。その器とは、「イエズス、あなたを信頼します。」と書かれたこの絵です。(日記327) 


二つの光線は、御血と水を意味しています。青白い光線は、魂を義化する水です。赤い光線は、霊魂にとっての命となる御血を表しています。この二つの光線は、十字架上で苦しむ私の心臓が、槍に突き刺されて開いたとき、私の深いいつくしみの奥底から流れ出ました。この光線は、御父が下す罰から人々を守ります。彼らに与えられている避難所を住処とする人は幸いです。その人に神の裁きの手は下されないでしょう。(日記299) 


色や筆使いの美しさにこの絵の素晴らしさがあるのではありません。わたしの与える恵みの中にこそあるのです。(日記313) 


この絵によって、わたしは人々にたくさんの恵みを与えるでしょう。そして、この絵は、わたしのいつくしみが要求することを思い出させるものとなるでしょう。最も強い信仰を持っていたとしても、愛の行い無しには意味がないからです。(日記742) 


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一番最初に描かれた御絵。
ファウスティナが見たイエズスの美しさに到底かなわず、ファウスティナは泣いた。


どれほど美しく感動的なものであったとしても、この御絵自体は単なる絵です。しかし、この御絵は信仰の神秘を示しており、また、わたしたちがその神秘を理解して受け取ることを助けてくれます。それゆえ、この御絵そのものが恵みの源なのではなく、恵みを受け取るための器であり、この御絵そのものが神なのではなく、神の恵みを思い出させるものなのです。また、救いは単純に信仰だけでもたらされるものではなく、愛を伴った行動によるものであるということにも気付かせてくれます。御絵を見て御絵が示す神の神秘を信じるには、信仰が必要です。しかし、いつくしみをいただくためには、正義が要求する厳格さをも凌駕するほどの愛といつくしみが必要です。貫かれたキリストの傷から注ぎ出る御血と水は、愛の行いの究極の姿である十字架の犠牲が、いつくしみを受けることのできる対価であることを思い起こさせてくれます。

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Divine Mercy / The Hour of Great Mercy
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イエズスはファウスティナに対して、ご自分が十字架上で亡くなられた時間である午後3時、彼のご受難を思い起こしながら祈ることを求められています。


3時には、特に罪びとたちのために、わたしのいつくしみを乞い願いなさい。そして、ほんの少しの間でも、わたしの受難の中にあなた自身を沈めなさい。特にわたしがすべてに見捨てられた苦悩の瞬間の中に。この時間は大いなるいつくしみの時間なのです。わたしの受難の功徳によって、この時間にわたしに祈りもとめる人の願いを、わたしは決して拒むことはありません。(日記1320)


時計の針が3時を告げるとき、礼拝と賛美とをささげながら、わたしのいつくしみの中にあなた自身を完全に沈めなさい。全世界のため、特に、罪びとたちのため、わたしのいつくしみの全能さを祈りもとめなさい。すべての魂のためにいつくしみが大きく開かれる時間だからです。この時間には、あなた自身のためだけでなく、あたなが祈る他の人たちのためにも、すべての恵みを受け取ることができます。全世界にとって恵みの時間なのです。いつくしみは正義に勝るのです。


また、もしあなたの仕事が許すのであれば、この時間に十字架の道行きの信心を行いなさい。十字架の道行きができないのであれば、少なくとも少しの間礼拝を捧げるために、チャペルに足を運びなさい。ご聖体は、いつくしみで満ちあふれています。それもできないようであれば、あなたがいるその場所において、少しでも祈りに浸りなさい(日記1572)

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Divine Mercy / How to Pray Chaplet
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チャプレットを祈るときは、普通のロザリオを用います。
まず、「主の祈り」、「天使祝詞」、「信仰宣言」を唱えます。

■ 主の祈り

(文語体)
天にまします我らの父よ
根が枠は御名(みな)の尊まれんことを
御国(みくに)の来たらんことを
御旨(みむね)の天に行わるるが如く、地にも行われんことを
我らの日用の糧を、今日(こんにち)我らの与え給え
我らが人に赦す如く、我らの罪を赦し給え
我らを試みにひきたまわざれ
我らを悪より救い給え
アーメン

(口語体)
天におられるわたしたちの父よ
御名(みな)が聖とされますように
御国(みくに)が来ますように
御心(みこころ)が天におこなわれるとおり、地にもおこなわれますように
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください
わたしたちの罪をお赦しください
わたしたちも人を赦します
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください
アーメン


■ 天使祝詞

(文語体)
めでたし、聖寵満ちみてるマリア
主、御身(おんみ)とともにまします
御身は女のうちにて祝せられ
ご胎内の御子(おんこ)イエズスも祝せられ給う
天主の御母(おんはは)聖マリア
罪深い我らのために
今も臨終のときも祈り給え
アーメン

(口語体)
恵みあふれた聖マリア
主はあなたとともにおられます
主はあなたを選び祝福し
あなたの子、イエスも祝福されました
神の母聖マリア
罪ふかいわたしたちのために
今も死を迎えるときもお祈りください
アーメン


■ 信仰宣言

天地の創造主、全能の父である神を信じます
父のひとり子、わたしたちの主イエス・キリストを信じます
主は聖霊によってやどり
おとめマリアから生まれ
ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け
十字架につけられて死に
葬られ
陰府(よみ)に下り
三か目に死者のうちから復活し
天に昇って、全能の父である神の右の座に着き
生者(せいしゃ)と死者を裁くために来られます
聖霊を信じ
聖なる普遍の教会
聖徒の交わり
罪のゆるし
からだの復活
永遠のいのちを信じます 
アーメン


ロザリオは、大珠1個&小珠10個を1セット(「1連」と言います。1週すると「5連」です。)と数えます。


ロザリオの大珠のところで、以下の祈りを唱えます。
永遠なる御父よ、あなたの最愛の子でありわたしたちの主であるイエズス・キリストの御体と御血、御霊と神性とを、わたしたちと全世界の罪の償いのため、あなたにお捧げします


小さい珠では、以下の祈りを唱えます。これを10回繰りかえします。
主の痛ましいご受難を顧みて、わたしたちと全世界の上にいつくしみを注いでください。


「5連」唱えたら、最後に3回、以下の祈りを唱えます。
聖なる神、聖なる全能の神、聖なる永遠の神、わたしたちと全世界をいつくしんでください。


これでチャプレットは終わりです。しかし、その後に以下の祈りを3回続けることがよくあります。
わたしたちへのいくつしみの泉として、イエズスの御心からほとばしり出た御血と水よ、あなたを信頼します。


もちろん、これらを呪文のように唱えるのでは、まったく意味がありません。祈りとは神との会話です。祈りの言葉ひとつひとつをゆっくりと噛みしめ、イエズスの受難と愛の深さを思いめぐらせながら、神に語りかけるように心で祈ることが大切です。


また、チャプレットは歌って捧げることもできます。ファウスティナがいた修道院では、歌って祈るようです。その美しいメロディーを英語に当てはめたものがあるので、掲載しておきます。ボクが慣れ親しんでるのもこのバージョンです。まだ日本語版がないのが残念ですが・・・。

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Divine Mercy / The Chaplet
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1935年、聖ファウスティナにある幻視が与えられます。


神から遣わされたひとりの天使が、ある都市の上に罰を与えようとしていました。

彼女は神の慈悲を祈り求め始めたのですが、彼女の祈りはまったく無力でした。すると突然、ファウスティナは御父と御子と聖霊を目にし、イエズスの恵みによる力で満たされるのを感じました。同時に、心の中に聞こえてくる言葉で、神のいつくしみを乞い願っている自分に気付きました。 


永遠なる御父よ、あなたの最愛の子でありわたしたちの主であるイエズス・キリストの御体と御血、御霊と神性とを、わたしたちと全世界の罪の償いのため、あなたにお捧げします。主の痛ましいご受難を顧みて、わたしたちと全世界の上にいつくしみを注いでください。 


インスピレーションによって受けたこの祈りを繰り返していると、天使はだんだんと力を失い、その町が犯している罪に相応しい罰を与えるという彼の使命を実行できなくなってしまいました。翌日、チャペルに入ろうとしたとき、ファウスティナは再び内なる声を聞きます。その声は、後にイエズスが「チャプレット」と呼んだこの祈りを、どのように唱えればよいか彼女に教えました。それからというもの、彼女は絶え間なく、特に死に逝く人たちのために、チャプレットを祈りました。


わたしがあなたに教えたこのチャプレットを祈るよう、人々を励ましなさい。(日記1541) 


この祈りを唱える者は誰でも、臨終のときに偉大ないつくしみを受けるでしょう。(日記687) 


死を迎えている人のそばでチャプレットを祈るなら、御父と死を迎えているその人との間にわたしは立ちます。正義の審判者としてではなく、いつくしみに溢れた救い主として。(日記1541) 


司祭たちは、罪びとたちが彼らの最後の救いの望みとしてこの祈りを唱えるよう勧めなさい。もっとも頑な罪びとであったとしても、このチャプレットを一度でも祈るならば、その人はわたしの無限のいつくしみから恵みを受けるでしょう。(日記687) 


もしその望みがわたしの意志と一致しているならば、チャプレットを通して、あなたたちはすべてを受けるでしょう。(日記1731) 


チャプレットはいつどんなときに祈られても良いものですが、特に「いつくしみの主日(=復活祭の次の日曜日)」にむけてノベナ(9日間の祈り)を捧げることを、イエズスはファウスティナに勧めています。 


このノベナの祈りによって、わたしは人々にあらゆるすべての恵みを与えます。(日記796) 


また、この祈りを「大いなるいつくしみの時間」である午後3時(=主が十字架上で亡くなられた時間)に日々祈ることも相応しいことです。

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Divine Mercy / The Devotion
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一人の若いポーランド人修道女の日記から、1930年代、ある特別な信心が世界中に広まりました。


その内容に何も新しいものはなく、教会が福音と伝統とを通じて二千年前から述べ伝えてきたメッセージを改めて思い起こさせるものです。つまり、神が憐れみ深く寛容な方であるように、わたしたち自身もいつくしみと赦しを隣人に示しなさいという黄金律。


しかし、この信心が伝える力強いメッセージは、信仰に斬新な角度から焦点を当てました。神の愛には制限がなく、すべての人々、特にひどい罪びとのために開かれているということを、人々がもっと深く理解するよう招いています。


日記の書き手はシスター・ファウスティナ。彼女は「神のいつくしみの神秘の書き手」として神に選ばれ、イエズスから様々な幻視や見えない聖痕を与えられ、イエズスが人々に抱いている狂わんばかりの愛について書き残しました。


いつくしみという炎がわたしを焼き焦がします。人々の魂にその燃えるいつくしみを注ぎたいのです。あぁ!彼らがわたしのいつくしみを受け取ることを拒むとき、どれほどわたしの心は痛むことでしょう!娘よ、わたしのいつくしみへの信心を広めるため、あなたにできることすべてをなさい。あなたに欠けるものはわたしが補います。苦しみに呻いている人類に伝えなさい、わたしのいつくしみにあふれた御心に寄り添うようにと。わたしはその人を平安で満たしましょう。(日記1074)


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ファウスティナとイエズスの間に交わされた数々の言葉は、まるでラブレターのやり取りのようです。しかし、そこには神学的にも非常に深い信仰の神秘が読み取れます。


夕方、主への大きな憧れがわたしの心の中にわき起こりました。いつくしみ深いイエズスの御絵が描かれているパンフレットを手にとり、ギュッと胸に押し付けると、わたしの魂から次のような言葉が溢れ出てきました。「イエズス、永遠の愛である方よ、わたしはあなたのために生きます。あなたのために死にます。そして、あなたとひとつになりたいのです。」突然、わたしは言葉にできないほどの美しさに溢れた主の姿を目にしました。彼はわたしを優しく見つめておっしゃいました。娘よ、わたしもあなたへの愛ゆえに、天から降りて来て人となりました。わたしはあなたのために生き、あなたのために命を投げ出しました。そして、あなたのために天国を創造しました。それからイエズスは、わたしをギュッと抱いてこうおっしゃいました。もうすぐです。心安らかにいなさい、娘よ。ひとりにもどったとき、わたしの心は主が「十分です。」とおっしゃるときまで苦しみを受け入れる望みに燃えていました。たとえ何千年生きたとしても、神の光を通して見れば、一瞬のことにすぎないのです。(日記853)


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いつくしみに満ちた数々のメッセージのエッセンスは、「神がすべての人を愛している」ということ。たとえどんなに罪深くても、神はわたしたちを一人残らず愛しているということ。ただこれだけ。彼の愛はわたしたちの犯す数々の罪よりはるかに大きく、力あるのだから、わたしたちは彼に近づくのを恐れるのではなく、逆に彼に信頼して拠り頼み、慈悲を受けるべきなのです。そして、わたしたちを通して他の人たちにもその恵みが与えられていくことを、メッセージは教えてくれます。


たとえ、その人の魂が腐り行く死体のような状態であったとしても、元に戻れる希望は断たれ、すべては終わってしまったのだと人の目には映っているとしても、神にとってはそうではありません。神のいつくしみがもたらす奇跡は、魂を完全な姿に戻すのです。このいつくしみの泉から恵みを汲み取ることができるのは、信頼という器だけです。彼らの信頼が強いほど、わたしの寛大さに限りはありません。(日記1448)


神のいつくしみの信心のポイントは3つに要約できます。


1) いつくしみをイエズスに祈り求めること 
神は、わたしたちが自分の罪を悔い、いつも祈りにうちにイエズスに近づき、罪の赦しといつくしみとが、わたしたちを全世界の上に注がれるよう願うことを望んでおられます。


2) 隣人に憐れみ深くあること 
神は、わたしたちがイエズスからいつくしみを受け、そのいつくしみを周囲の人たちにも分け与えていくことを望んでおられます。神が愛と赦しをわたしたちに与えてくださるように、わたしたちも周囲に愛と赦しとを与えることが必要です。


3) イエズスを完全に信頼すること 
神のいつくしみという恵みを受け取れるかどうかは、わたしたちの彼への信頼度にかかっています。イエズスを信頼を深めれば深めるだけ、より多くの恵みを受け入れることができます。


「あなたたちの御父が憐れみ深いように、あなたたちも憐れみ深くありなさい。」福音はそう命じています。いつでもどこででも隣人にいつくしみを示しなさいと。ですが、それを完全に実行することは不可能なことのように思えます。しかし、イエズスはそれは可能だとおっしゃいます。


信頼を持ってわたしに近づくなら、わたしはその人を溢れんばかりの豊かな恵みで満たします。あまりにも豊かなその恵みは、その人の内から溢れ出し、他の人たちにまで拡散します。(日記1074)





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