聖ファウスティナは、1905年、ヘレナ・コヴァルスカとして、ポーランドのグォゴヴィエツという寒村の貧しい家庭に生を受けます。当時はロシア帝国領土の一部でした。ちなみに、「ファウスティナ」は修道名です。
10人の兄弟姉妹がおり、上から3番目。12歳から15歳までの3年間だけ学校に通いましたが、家計を支えるため、家政婦として働き始めます。非常に信心深く、7歳のときに修道女になる召命を感じていて、18歳のとき、自分の務めは神の招きに応えることだと確信しました。しかし、働き者で両親のお気に入りだったため、その願いは彼らに聞き入れられませんでした。
願いが叶わない失望感の中で、修道女になる促しを忘れようと世俗的なことにうつつを抜かすようになったある日。若者たちのダンスパーティーに参加していると、急に彼女の前にイエズスが現われます。イエズスは無数の傷に覆われた受難の姿で、ヘレナにこう語りかけました。
「いつまでわたしはあなたに我慢すれば良いのでしょう?いつまであなたはわたしを避け続けるのでしょう?」
彼女はダンス会場を抜け出し、近くの大聖堂へ走って向かいました。祭壇の前で床にひれ伏し、どうすればよいのかイエズスに祈り尋ねると、心の中にイエズスの声が聞こえました、
「すぐにワルシャワへ行きなさい。あなたはそこで修道会に入るでしょう。」
家族には何も告げず、すぐさまワルシャワ行きの列車に乗り込みました。ワルシャワには親戚も知人もいません。修道会をあちこち訪ねて歩き回りますが、ことごとく断わられます。「いつくしみの聖母修道女会」を訪ねたとき、最初断わられるのですが、会のマザーが思い直し、この家の主である方に伺いなさいと彼女に告げます。ヘレナがチャペルに行って「この家の主である、イエズス、わたしを受け入れてくださいますか?」と祈ると、「あなたを受け入れます。あなたはいつもわたしの心の中にいるのですよ。」とイエズスが答えました。その事をマザーに告げると、「主が受け入れてくださったのなら、私たちもあなたを受け入れます。」と彼女を会に迎え入れてくれました。1926年、準備期間を経て晴れて修道女となり、「至聖なるご聖体のマリア・ファウスティナ」という修道名を戴きました。
それからほどなくして、彼女は天からの様々な幻視を受け始めます。1931年2月22日、イエズスが「いつくしみの王」として彼女の前に現われます。彼は白い衣をまとい、一方の手は祝福するために上げられ、もう一方の手は胸の部分に触れていました。そして、衣の下から、赤と白い光線が発せられていました。彼はファウスティナが見たビジョン通りの御絵を描くように頼みます。けれど、幻視の正当性について簡単には判断できないため、長上たちはその願いに躊躇しており、実際に御絵が描かれるまでには時間がかかりました。
イエズスは、彼女に「協力者」を送ると約束し、やがて、ミハウ・ソポツコ神父が彼女の贖罪司祭となります。当初、ファウスティナの話す幻視にとまどい、疑い、精神医による心理テストまで受けさせましたが、根気強く神学的側面から識別し、無学の修道女が神学の大家が書き残したような深い神秘を語るにつけ、最終的には彼女の最大の協力者となりました。幻視の内容を調べるため、日記をつけさせたのは彼でした。そのおかげで、私たちはイエズスの愛にあふれるメッセージを読むことができます。イエズスが願った御絵が描かれたのも、彼の協力があったからこそです。
修道会内でのファウスティナは、ごくごく普通の修道女としての生活を送っています。幻視については、数名の長上たちとソポツコ神父以外、誰も知りませんでした。ワルシャワ、プウォック、ヴィリニュスにある修道会支部を転々とし、料理番や庭師、門番と、与えられた仕事を忠実にこなしていました。一方、彼女は多くの逆境にさらされたり、同僚のいじめにあったりと、ありとあらゆる苦しみを受けていました。けれど、すべてを罪びとの改心のための犠牲として捧げます。
あるとき、世間で犯されている多くの罪について泣いていると、イエズスが現われて彼女を慰めました。 「娘よ、泣かないで。あなたの涙を黙って見ていることなぞ、わたしにはできません。おなたの祈り求めるものはすべて与えましょう。だから、泣くのはおよし。」
晩年のファウスティナは結核に冒され、病床に伏しますが、それをも罪びとたちの改心のために喜んで受け入れます。1938年10月5日、彼女の苦しみは終わり、天に召されました。享年33歳。最後まで、神の愛に背を向けた人たちをイエズスの御心へと導くため、己のすべてを捧げつくした人生でした。
死後、彼女の取次ぎによる多くの奇跡が報告され、1968年、ローマによる列聖調査が始まります。1993年4月18日、「聖人」の前段階の「福者」として、そして、大聖年の2000年4月30日(その年の復活祭の次の日曜日、つまり、"いつくしみの主日"です)、第三千年紀最初の「聖人」として。20万人もの人々がサンピエトロ大聖堂で見守る中で列聖されました。
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