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Little Nellie of Holy God
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2月2日は、「主の奉献の祝日」ですが、隠れた聖人、ネリーちゃんが天に召された日でもあります。しかも、彼女が天に召された106年前の2月2日は、今年と同じ日曜日でした。



ネリーは、"Little Nellie of Holy God (聖なる神の小さなネリー)"や"The Little Violet of the Blessed Sacrament(ご聖体の小さきスミレ)"と呼ばれ、本名は"Ellen Organ(エレン・オーガン)"。4歳という幼さで聖体の神秘を理解し、聖なる短い人生を全うしました。



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■ 生い立ち
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1903年8月23日、アイルランドのウォーターフォードで生まれました。4人兄弟の一番下でしたが、2歳の時、母親が結核で他界。この時、兄弟全員9歳以下でした。子供たちにはまだ母性のぬくもりが必要と考え、父親は彼らを修道院へあずけます。ネリーと姉メアリーは、「よき羊飼いの姉妹会(Good Shepherd Sisters)」にあずけられ、シスター全員を「おかあさん」と呼んでいました。





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■ プラハの幼子
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ネリーが夜中に苦しんでいるのを知り、調べてみると、背骨が歪み重度の結核が進行ことが分かりました。すでに末期症状で、医師は余命数ヶ月だろうと判断。このころ、彼女はプラハの幼子のご像に魅かれ、子供らしい単純さでご像に語りかけ、看護師の勧めで、病気を癒してもらえるようノベナを開始。ノベナの後、一時的に回復したため、ますます幼きイエズスへの信頼を深め、様々な神秘体験にあずかるようになりました(幼きイエズスがネリーのために踊っているビジョン等)。




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■ ご聖体へのあこがれ
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ネリーは、まだ誰からも習っていないのにご聖体の意味を理解し、「隠されたイエズス」と呼び、また、神秘的にご聖体の存在を感じることができました。ある時、世話係が朝の仕事で忙しく、ミサにあずかっていなかったのですが、ネリーの部屋に入るなり、「あなた、今日、聖なる神さまをいただいてないわ。」と当てることができました。また、初めて聖体顕示をチャペルで見た時、ネリーは感動して一緒にいたシスターに「おかあさん、あそこに彼がいらっしゃるわ!聖なる神さまがいらっしゃるわ!」とささやきかけ、聖体に視線が釘付けとなり、小さな手を聖体顕示台に向け、表情が恍惚の内に変容しました。

この時、修道院長もその場にいあわせ、以下のように綴っています。

「それは、10月の最初の金曜日の出来事でした。私は廊下を歩いていたのですが、チャペルのドアが開くと、看護役のシスターの手を握ったネリーが、静かに、そして祈りにふけった様子でよちよちと出て来ました。ネリーの具合がずっと悪かったことを思い出し、彼女の前に片膝をついてかがみこんで尋ねました。『気分はどう?』 ネリーは私の肩に顔をうずめ、静かに泣き出しました。しかし、彼女の涙は悲しみの涙ではなく、甘美な涙でした。それは、聖なる感情であり、言葉にならない涙のうちに溢れ出る幸福感によるものでした。その時、神はこの子に何か特別なご計画をお持ちであり、長上である私は、そのご計画を完成させるお手伝いをしなくてはならないのだと、内的に理解いたしました。」

ネリーは、ご聖櫃におられる主は、「閉じ込められた捕らわれ人」と見ていて、聖体礼拝が行われる時には、「チャペルに連れていってちょうだい!今日はイエズスが閉じ込められていらっしゃらないから!」と言っていました。




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■ 病とイエズスのビジョン
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一方で、ネリーの体は蝕まれて行っていました。新しい歯が、舌の付け根を突き抜けて生えてきており、強烈な痛みをもたらしていたにも関わらず、耐えていました。また、結核が肺をボロボロにしていただけでなく、カリエスも併発していて、顎の骨が崩れ、悪臭を漂わせていました。この頃、彼女は主の受難と十字架を意味を理解し、十字架を手にして激しい痛みに耐えていました。

ある朝、シスター・インマクラタと看護師のホール女史が、一晩中苦しんでいたネリーを心配して訪ねてきました。

ホール女史:「具合はどう、ネリー?あなたがもう神さまのところへ行ってしまっていないか、ひやひやだったのよ。」
ネリー:「まだよ!神さまは、ネリーはまだ彼のところに行けないっておっしゃったの。」
ホール女史:「神さまについてどんなことを知ってるの?」
ネリー:(ベッドの横を指さしながら)「神さまは本当に来てくださって、そこに立っていたのよ。そして、そうおっしゃったの。」
シスター:「神さまはどこにいたの、ネリー?」
ネリー:(同じ場所を指さしながら)「そこよ!」
シスター:「イエズスはどのような姿をしてらしたの?」
ネリー:(胸の服のひだに手を当てた格好で)「こんな感じ。」

シスター・インマクラタとホール女史は驚き、これは子供の妄想なのか、はたまた事実なのか悩み、ネリーが同じことを話すまでは誰にも言わないことにしました。ネリーの死の間際、院長のシスター・フランシスがネリーにイエズスのご絵をあげた時、ネリーは、「あたしがイエズスを見るときの姿とは違います。」と語り、院長が「どんな姿なの?」と尋ねると、「こんな感じよ。」と以前と同じ格好を取りました。院長は、ネリーがイエズスを見ているとは知らなかったので、非常に驚き、シスター・インマクラタとホール女史にこのことを語ったため、彼女たちは主に感謝を捧げ、ネリーの秘密は多くの人の知るところとなりました。




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■ 深い信仰
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まだ4歳であるにも関わらず、さまざまな祈りを覚え、イエズスの受難への深い信心を持っていました。自分の苦しみを主の受難に合わせ、どのような痛みにも不平をもらしませんでした。激しい痛みに襲われると、十字架を手にとり、「かわいそうな神さま!あぁ、かわいそうな神さま!」と祈り耐えていました。誰かが彼女の苦しみに同情すると、「神さまがネリーのために十字架の上でがまんしてくださったことに比べたら、何でもないわ。」と微笑みながら答えました。

また、シスターたちのため、司教のため、看護師たちのため、お友だちのため、教会と教皇のためにいつも祈り、ロザリオの祈りを愛していました。主祷文を唱える大きな珠と十字架にキスし、ゆっくりと深い祈りのうちにロザリオを唱えました。ある日、院長が彼女を訪れ、「ネリー、おしゃべりしましょうか?それともロザリオのお祈りする?」と尋ねると、ロザリオを祈ることを選び、一緒に祈り始めました。すると、ネリーは「院長さま、ひざまづかなきゃ。」とささやきかけます。院長が聞こえないふりをしていると、一連が終わりかけたときに、再び「院長さま、ひざまづかなきゃだめよ。」と語りかけ、ネリーと一緒に最後までひざまづいて祈らなくてはなりませんでした。




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■ 聖体への憧れ
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当時、初聖体は12歳頃が慣例でした。しかし、4歳のネリーは、聖体への強い憧れを抱いていました。ある時、ネリーが院長にお願いします。「院長さま、明日の朝、神さまをいただいたら、イエズスをあたしのところへ連れてきてくれる?」院長は少し考えて、こう答えました。「明日の朝、あなたのことを神さまがよく目にかけてくださるよう、頼んでみましょう。そして、ごミサの後、あなたに会いに来ましょう。」けれど、翌朝、当然のことですが、院長はご聖体を運んでは来ませんでした。そのことにネリーは失望し、激しく泣き出しました。

その日、一日中、ネリーはふさぎ込み、誰かが何か必要か尋ねると、「大丈夫。ただ神さまのことを考えているだけなの。」と答えました。けれど、すぐにちっちゃな頭は「名案」を思い付きます。翌朝、看護師の耳にこうささやきました。「チャペルで神さまをいただいたら、すぐにあたしのところに来てキスして欲しいの。それからまたチャペルに戻って。」ネリーは、聖体をいただいた人の唇に恭しくキスをすると、深い祈りの沈黙に浸り、チャペルへ戻って主への感謝を捧げるようにと小さな手を振るのでした。




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■ 初聖体
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イエズス会のベリー神父の黙想会に参加していたシスターたちが、ネリーがご聖体を熱望していることを神父に話しました。神父は、「聖アルフォンソもご聖体を熱望した小さな子供に授けたのですから、司教様がお認めになれば、ネリーも受けることができるでしょう。」と賛同してくれました。

神父はネリーに会いに行き、ご聖体とは何かと尋ねました。「ご聖体は、神さまです。シスター方やみんなを聖なる人にしてくださる神さまです。イエズスはあたしの舌の上に来てくださり、そして、私の心の中に入って行かれます。」ベリー神父は驚嘆し、すぐに司教へ手紙をしたため、聖体を与える許可をいただきました。

聖体をいただけることを知ったネリーは、「神さまをあたしの心の中にいただけるんだわ!神さまをあたしの心の中にいただけるんだわ!」と喜び興奮しました。初聖体の前夜は眠れず、一晩中、付添いのシスターにもう行く時間じゃないか尋ね続けました。「お星さまが見えなくなったわ!もう起きる時間でしょ?」

1907年12月6日。初金の朝。真っ白のドレスに身を包んだネリーは、頭を垂れてじっと静かに祈っていましたが、ベリー神父がご聖体を持って近づいてくると顔を上げ、天的な恍惚のうちに、ご聖体をいただきました。ベリー神父は綴っています。「この子は、文字通り、神へ飢え乾いていました。愛のうちにうっとりと、私の手から神を受け取りました。」

不思議なことに、カリエスによる顎の悪臭が、初聖体の後、ぴったりと止まりました。




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■ 死に向かって
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しかし、彼女の健康はどんどん悪化して行きました。ほとんど食べ物を口にすることができないようになり、あたかもご聖体だけで生きているようでした。彼女の苦しみを目の当たりにし、シスターたちは涙するのですが、「なぜ泣くの?神さまのところへ行けるんだから、喜ばなくちゃ。」と逆に励ますのでした。また、頭痛で不平を言う人がいれば、「神さまがあたしたちのために耐えてくださった苦しみに比べたら!」と叱咤しました。

死の時が近づくについれ、イエズスの出現を頻繁に受けるようになります。イエズスと二人だけで話せるよう、しばしば、他の人たちに一人にしてくれるように頼みました。一人ぼっちで寂しくないのか尋ねると、「とんでもない!神さまとお話ししてるんだもの。」と答えるのでした。また、病気で苦しむ人たちのために祈るように頼まれると、彼女の取り成しの祈りで、多くの人が癒されました。




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■ 聖なる死
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ネリーは、自分は主の日(=日曜日)に召されると言っていました。明らかに彼女は日に日に衰えて行きました。1月30日、院長はネリーに語りかけました。「ネリー。神さまのところへ行ったら、私も神さまのところへ行けるよう、頼んでくれないかしら?私も天国を待ち望んでいるの。」ネリーが院長の顔をじっと見つめると、その瞳は超自然的な光で輝き、「神さまは、院長さまを連れて行けないわ。院長さまがもっと善くなって、神さまが院長さまにやって欲しいと思っていることをやるまでは、連れていけないの。」と答えました。

2月のロザリオの当番くじが子供たちの間に配られると、ネリーは2月2日、奉献の祝日の当番となりました。また、その年の2月2日は日曜日でした。金曜日にネリーの容体が悪化し、もうだめかと思われましたが、持ち直し、土曜日は、苦しみの内に生と死の間をさまよいました。ネリーの苦しむ姿を見ると、誰もが胸が張り裂けそうでした。2月2日になると、シスターたちが交代で、ネリーのそばで祈り続けました。

15:00に近づくと、ネリーは静かになり、一時間ばかりじっとしていました。その間、彼女はベッドの足の方をじっと見つめていました。シスターによると、彼女の視線は、死にゆく人のどんよりしたそれではなく、素晴らしい何かがあったといいます。やがて、ネリーの瞳からは喜びの涙が溢れ出し、そこにいる「何か」に向かって近づこうと起き上がろうとしました。そして、にっこり微笑みました。16:00、恍惚のうちに微笑みながら、ネリーの魂は神のみもとへと帰って行きました。




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■ ネリーの死後
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ネリーについての話と彼女のご聖体への憧れを聞いた教皇ピオ10世は、興奮して、「これぞ、私が待ち望んでいたしるしです!」とおっしゃいました。その数か月後、「Quam Singulari(クァム・スィングラーリ)」を出され、初聖体の年齢を12歳から7歳へと下げられました。そして、教皇は、コークの司教に、ネリーの聖遺物を所望しました。

「ネリーを模範とし、プレヴォ神父をはじめ、若い子供たちに頻繁にご聖体をいただくよう勧める者たちを、天の御父が豊かに豊かに祝福してくださいますように。」- ピオ10世、1912年6月4日 -

ネリーの棺が移転のため掘り起こされた時、棺を開けると、結核症は体の組織を破壊するはずなのに、ネリーの体は腐敗を免れていました。彼女の死から100年以上経ちますが、ネリーの取り次ぎを通して、多くの奇跡が報告されています。


 



 
天使・聖人 comments(3) -
St. Catherine Laboure
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こちらは、ご縁があって我が家に来ていただくことになった、聖カタリナ・ラブレ(19世紀のフランスの修道女。聖母の出現を受け、あの有名な「不思議のメダイ」を作るように頼まれる。)の聖遺物(第1級)です。聖人の骨の欠片となります。(証明書にはex ossibus(骨)とあります。)

写真で見ると、聖遺物容れは小さく見えるかもしれませんが、かなりしっかりとした作りで、ずっしりと重いです。美しい刺繍が施され、中央に聖人の遺骨が静かに置かれています。聖遺物容れは、聖体顕示台のように非常に荘厳な容器が多いですが、こちらは、信徒がキスできるための容器のようです。

聖カタリナ・ラブレとは、昔から本当にご縁があります。

まず、古い教会暦では、彼女の祝日とボクの誕生日は同じ。(蛇足ですが、福者ヨハネ23世の誕生日と同じです。)そして、学生時代に初めてフランスに行ったとき、パリで不思議のメダイ教会にお邪魔して、いまだ腐ることなく残っている聖人のご遺体と対面。昔から来たいと思っていたこのチャペルに自分がいることに感激し、かなりの時間、そこで祈って過ごしました。祭壇の後ろにある聖母のご像がすごく美しいんですよね!また、不思議のメダイを通して、クリスチャンじゃない家族も助けてもらっています。

それ以前に、不思議のメダイとは、まだまだ洗礼さえ受けていない、おそらく小学生だった頃から手にしていたのを覚えています。実家のある福岡の大名町のカテドラル。まだ建て替え前の古いお御堂だったとき、横にあったセント・ポールの売店で、青や赤の透明のエナメルを施された美しいおメダイに心惹かれて、小さな聖母のご像と一緒に、優しくて聖人のような祖父(祖父はクリスチャンじゃありません)に買ってもらったように記憶しています。

ちなみに、今の教会暦では、ボクの誕生日は、アレクサンドリアの聖カタリナの祝日になります。どちらも「カタリナ」。「カタリナ」は、ギリシャ語では「Αικατερίνη(アイカテリーネー)」で、元は「καθαρός(カタロス:純粋)」から派生しています。

ボクも聖女たちに習って、純粋な人間になれますように!!!!!

Sancta Catharina, ora pro me!!!!!


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St. Petrus

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また素敵な動画を発見しました。聖ペトロの生涯(十字架以降、ローマで殉教するまで)を描いた、イタリアのTVドラマ。


残念ながら日本語吹き替え/字幕はありませんが、簡単な英語吹き替え版なので、英語の苦手な方でもかなり理解できるのではと思います。それに、すでにバックストーリーをほとんどのクリスチャンは知っていますからね!もちろん、ドラマですから、若干誇張や創作部分はありますが、この聖ペトロ役の俳優さん(オマール・シャリフというエジプト系の俳優)、すごく良い味を出してます。人として弱いペトロが、何度も転びながらも、優しく、あたたかく、そして強い教会の礎となっていく過程が見事に描かれています。感動!ケチをつけるなら、ペトロ役以外の方々はイマイチかな・・・。あと、音楽も素晴らしい!モンシニョール・フリズィーナが手掛けているようです。以前、紹介した"Jesus Christ, You Are My Life"を作曲された神父様。でも、まだ教会が世界的なものになっておらず、ユダヤ・ローマ両方からの厳しい迫害の中にあり、命がけで小さなともし火を守らなくてはいけないこの時代。常に死と恐怖との隣り合わせ。自分ならこれほど強くあれただろうか?と自分に問いかけてしまいます。まさに人の力だけでは乗り越えられない逆境。聖霊の働きがあったからこそですよね。そして、信仰を守り残してくれた、使徒たちや初代教会の信徒たちに感謝と尊敬の念でいっぱいです。それにしても、さすがカトリック国イタリア!ピオ神父の生涯をTVドラマ化したものも素晴らしかったですよね。ぜひ、聖ペトロの生き様に心打たれてください!全部で21の動画に分かれています。




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