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Fatima
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ポルトガルの工房にお願いしていたファティマの聖母の木彫り像が、先日到着しました!今まで見た中でも、本当にオリジナルのご像に一番近いです。聖母の息遣いまで聞こえて来そう!!



finally received the wood carved statue of "our lady of fatima" from the studio in portugal! they make one of the most resembling one to the original statue. can you hear her breath?



our lady of fatima



our lady of fatima



our lady of fatima



our lady of fatima




our lady of fatima



our lady of fatima



 

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Nossa Senhora de Fatima
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今日はファティマの聖母の祝日。



ファティマでの出来事を映画にしたものはいくつかりますが、"The 13th Day(13日目)"というタイトルのこの映画は、映像が美しく、シスター・ルシアが語る形で進められていて、とてもよい作品です。ぜひご覧ください。




Today is the feast of Our Lady of Fatima.



There are some films based on the event of Fatima, but the recent once called "The 13th day" is one of the best! Here is the video you can watch on YouTube.

 






 
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Our Lady of Fatima
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our lady of fatima



ポルトガルにある工房に、ファティマの聖母のご像を依頼していましたが、写真と共に完成したとの連絡が!



木彫りに彩色したもので、すべて手作業によって丁寧に作られます。こちらの工房は、特に顔と手の美しさに細心の注意を払うようですが、それ以外の完成度も素晴らしい!!熟練した職人の手を通してでしか、これほどに素晴らしいものを作ることは不可能。最近、美しい聖母のご像が少なくなってきているように思いますが、こういう昔ながらの職人技と伝統美を、いつまでも後世に引き継いで行って欲しいものです。



美しいご像やご絵を見ていると、自然と心は深い祈りへと引き込まれます。「美」と「善」は表裏一体。ギリシャ語では、どちらも同じ単語「καλοs(カロス)」であり、「良き羊飼い」は「美しい羊飼い」でもあり、真の美は善へと導くものなのです。だからこそ、教会には美がないといけないのです。



i have received the mail from the art studio in portugal and they told me that the wood carved statue of our lady of fatima (which i ordered in january) was finally completed!



it's all hand-made/hand-painted. see how delicate the work is. the studio particularly pays the special attention on the face and the hands upon carving, but the other parts are also astonishing! skilled craftsmanship is indeed required in order to produce such a wonderful masterpiece. sadly, it's so difficult to find the beautiful statue of the blessed virgin nowadays, but we must carry on the elaborated technique and traditional beauty to the next generations to come.



the beautiful statues/images invite us into the deep prayer. "beauty" and "goodness" are the two sides of the same coin. in greek, "kalos" expresses the both meaning. the "good shepherd" is also the "beautiful shepherd". the true beauty leads us to the true goodness, thus we need the beautiful items in the church.
 


 
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Our Lady of Akita
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ローマが選んだ全世界の10の聖母巡礼地(ルルド/フランス、バンヌー/ベルギー、チェストホーヴァ/ポーランド、ナザレ/イスラエル、ナイロビ/ケニア、ワシントンD.C./アメリカ、アパレシダ/ブラジル、ルハン/アルゼンチン、ヴァランカニ/インド、秋田/日本)を結び、10月12日から13日にかけて行われた「聖母マリアとともに過ごす祈りの夜」に参加するため、秋田の聖体奉仕会をお邪魔して来ました。12日の夕方に現地に入り、13日の朝には帰京するという0泊2日の強行軍でした!!

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祈りのプログラムは23:00からでしたが、19:00過ぎには修道院の方へ。聖体奉仕会を訪れるのは、十数年ぶりかな。現地では、懐かしい面々との再会も。また、驚くほどたくさんのヴェトナムの方々、フィリピンの方々もいらっしゃっていました。事前に聞いていたところでは、全参加者数は800名強だとか。また、駐日教皇大使のジョゼフ・ チェノットゥ師も参列されました。(お御堂内は写真撮影禁止なので、玄関外から撮りました w)

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久しぶりにお会いする秋田の聖母のご像。ご像自体から非常に大きなオーラが出ているように感じ、決して大きなご像ではないのに、聖堂の中でも存在感が一際目立ていました。

our lady of akita

23:00から、各国の言葉(日本語、ヴェトナム語、韓国語、タガログ語&英語)による聖体礼拝。その後、日本時間の1:00より、ローマを中心に10の聖母巡礼地を結ぶロザリオの祈りが同時中継されました。最初に、ファティマから運ばれた聖母像が会場となるSantuario della Madonna del Divino Amore(神の愛の聖母教会)へ行列する中、10各国を代表する国旗が先導しましたが、日の丸が大きくモニターに映ると、お御堂では大歓声!特に海外の方々が日本人以上に歓喜してくださっていたのが嬉しかったですね!!

our lady of akita

その後、司会者が各地を紹介し、パパ様からのビデオメッセージが流れました。その中でパパ様の口からしっかりと「akita」という単語が発せられたときは、本当に感無量でした。

our lady of akita

日本はアメリカと一緒に、喜びの玄義の第4玄義を担当。新潟教区の菊地司教様がPater Nosterを唱えられ、選ばれた5名がAve Mariaを秋田の聖母像に向かって祈りました。非常に長丁場だったにも関わらず、それほど時間の長さを感じなかったのは、本当に不思議です。

our lady of akita

全世界を結ぶロザリオの後は、お御堂内でインターナショナルミサ。メインの司式者は菊地司教様。教皇大使のチェノットゥ大司教と他の神父様方(15名くらいいらっしゃったでしょうか)も共にミサを捧げられました。ミサが終わると、チェノットゥ大司教や聖体奉仕会のシスター小川から参加者へのご挨拶があり、無事にプログラムも終了。そうそう、聖堂を造られた宮大工の方もいらっしゃっていました。


ミサが終わる頃には、空も白み、天から恵みを注ぐかのような朝日の光がなんとも神々しく美しかったです。ミサの終わりには、少し不思議な体験もしました。


our lady of akita

ローマによって10の聖母巡礼地のひとつに選ばれたこと、教皇大使が参列なさったこと、また、パパ様ご自身の口から「akita」と言われたことを考えれば、秋田の聖母は教会が認めたことを再認識させるのに十分だと思います。聖母出現は信仰に必須なものではないので、信じるも信じないも自由ですが、これまで日本の教会は秋田についてネガティブだったように思います。必要以上に称賛することもなければ、必要以上に卑下することもないはず。ただ、天がこれほど大きな恵みを、カトリック国でもないこの国に与えられたことに、感謝すべきなのではないでしょうか。

 



 
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Mary in the Bible

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聖母マリアの存在の意味を、聖書の内容に基づいて非常に分かりやすく説明している素晴らしい動画を見つけました!目からウロコとはまさにこのこと!!英語の動画ですので、日本語で内容を簡単に整理したものを以下にまとめておきます。聖書は知れば知る程、奥深く、神秘に溢れ、神の御業の不思議さに驚かされます!!!

(動画はこの記事の一番下にあります。)



【 !! 重要 !! 】 以下の二点を常に踏まえておいてください。

1.  旧約は新約の前兆であり、新約は旧約を完成するものであるという点。

2.  最初のクリスチャンたちと古代のユダヤ人たちは、旧約聖書をそらんじており、使徒たちが彼らに伝えていることと旧約聖書に書かれていることとを、簡単に関連づけることができたという点。



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マリア: 新しいエバ、すべてのキリスト者の母

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創世記とヨハネによる福音書&黙示録は関係しあっています。


■ 「 初めに 」

創世記 1:1 /  初めに・・・

ヨハネ 1:1 /  初めに・・・


■ 「 光と闇 」

創世記 1:5 /  光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。

ヨハネ 1:5 /  光は闇の中で輝いている。闇は光に打ち勝たなかった。


■ 「 水の上に漂う神の霊 」

創世記 1:2 /  神の霊が水の上を覆うように舞っていた。

ヨハネ 1:32-33 /  わたしは霊が鳩のように天から降り、この方の上に留まるのを見た。・・・水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が・・・


■ 「 7日間 」

創世記 /  神の天地創造は7日間

ヨハネ / 

・洗者ヨハネによるメシアについての初めての言及 → 1日目

・ヨハネ1:29: 次の日・・・ → 2日目

・ヨハネ1:35: 次の日・・・ → 3日目

・ヨハネ1:43: 次の日・・・ → 4日目

・ヨハネ2:1 : 三日目に、ガリラヤのカナで婚礼がおこなわれた。→ 7日目


→ 創世記もヨハネの福音書も、どちらも創造の話から始まります。ヨハネの福音書を初めて耳にした時、当時の人々はすぐに創世記のことが思う浮かんだはずです。


■ 「 アダムとエバ / イエズスとマリア 」

// エバ //

・ エバはアダムの骨の骨、肉の肉。(創世記 2:23)

・ アダムはエバを「Woman」と呼ぶ。(創世記 2:23)

・ エバは悪の天使(サタン)の言葉を聞く。

・ エバはアダムに最初の悪い行いをさせる。

・ エバは信じなかったために呪いを受ける。

・ エバを通して罪と死が人類にもたらされる。

・ エバは生きている者すべての母。

・ 女とその子孫は、サタンと敵対する。


// マリア //

・ マリアはイエズスと骨肉を分けた者。

・ イエズスはマリアを「Woman」と呼ぶ。(ヨハネ 2:4カナの婚姻、ヨハネ19:26十字架の上から)

・ マリアは良い天使(ガブリエル)の言葉を聞く。

・ マリアはカナで最初の栄光ある奇跡をイエズスに行わせる。

・ 「信じた方は本当に幸せ。」(ルカ 1:45)

・ マリアを通して恵みと命が人々にもたらされる。

・ マリアは命の木(=十字架)の下で、イエズスに従い証しするすべての者の母となる。(ヨハネ19:26)

・ 黙示録での女とその子孫と竜との戦い。


→ パウロはイエズスのことを「新しいアダム」と呼びます。上記の創世記との対応、また、エバとマリアの対応を見れば、マリアが「新しいエバ」であることは明白です。イエズスの愛した弟子であるヨハネは、新約を書いた弟子たちの中でも最も神学的に深く、また、イエズスの死と復活の後は、マリアを母として自分の家に迎えました。彼は、30年間イエズスと生活を共にしたマリアと一緒に暮らしたのです。ヨハネは自分が何を書いているのかをよく分かっており、初代教会のクリスチャンたちはヨハネの語っていることを信じていました。(初期教会の教父たちの書物を読んでみてください。)



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マリア: 新しい「契約の聖櫃 (Ark)」

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聖書の他に、ユダヤの人々が非常に尊んでいたものがあります。それは「契約の聖櫃 (Ark)」です。聖櫃は、旧約において最も重要な物です。決められた寸法を守り、最も貴重な素材と純金とで作るようにと、神は求められました(出エジプト 25: 10-21)。なぜならこの聖櫃は、ユダヤの救いの歴史において何よりも聖なる品々を納めるものであり、神の臨在がこの聖櫃を覆うからです。しかし、残念なことに、2600年前のバビロン捕囚時代に「契約の聖櫃」は失われてしまいました。それ以来、この櫃を見たのはひとりだけ。それは使徒ヨハネです。ヨハネは黙示録の中でビジョンの中で見る聖櫃のことを描写し始めますが(黙示録11:19)、突然その描写をやめ、「Woman」のことを語りはじめるのです(黙示録 12)。なぜか?【 !! 重要 !! 】のポイントを思い出しましょう。


「契約の聖櫃」に納められているものを比べてみましょう。


旧約の聖櫃に納められたものは・・・

・ 石版に刻まれた神のみ言葉。

・ 地上で生きる糧となるマナ。

・ 大祭司アロンの杖。


新約の聖櫃(マリア)に納められたものは・・・

・ 受肉した神のみ言葉であるイエズス。

・ 永遠の命のパンであるイエズス。

・ 永遠の祭司であるイエズス。


では、旧約聖書での描写と新約聖書での描写を見てみましょう。


■ 「 神の臨在がやって来て覆う 」

出エジプト 40:34 /  雲は会見の幕屋を覆い、主の栄光は住居に満ちた。 

ルカ1:35 /  聖霊があなたに臨み、いと高きおん者の力があなたを覆うでしょう。


■ 「 契約の聖櫃/マリアが、私のところにやって来る 」

サムエル下 6:9 /  その日、ダビデは主を恐れて言った、「どうして主の櫃をわたしの所にお迎えできようか。」

ルカ1:43 /  わが主のおん母がわたくしの所においでくださるとは、いったい、どうしたことでしょう。


■ 「 到来によって恍惚となり踊る 」

サムエル下 6:16 /  主の櫃がダビデの町にはいったとき、サウルの娘ミカルは窓から見下ろしていたが、ダビデ王が主の前で跳ねたりくるくる踊ったりしているのを見て、心の中で彼を軽蔑した。

ルカ1:44 /  あなたのあいさつの声が、わたくしの耳に入ったとき、胎内のわが子が喜んでおどりました。


■ 「 契約の聖櫃/マリアは三か月間留まる 」

サムエル下 6:11 /  こうして主の櫃は、ガド人オベド・エドムの家に三か月留まった。主はオベド・エドムとその家を祝福された。

ルカ1:56 /  マリアはエリザベツのところに三か月ほど留まり、そして、家に帰った。


→ 「契約の聖櫃」は神の御言葉を納めるため、純金で作られました。マリアは新しい「契約の聖櫃」であり、肉となられた神の御言葉を宿すための最も純粋で清い器です。旧約の時代、聖櫃を崇敬することは、神を礼拝することをおとしめることではなく、逆に、聖櫃を敬わないことは、神への冒涜だとみなされていました。


神ご自身が神の子羊を与えられたように、神ご自身が新しい「契約の聖櫃」を準備されたのです。ですから、いと高き方の力がマリアを覆う前から、ガブリエルはマリアに「恵みに満ちた者、喜びなさい!」と言うことができたのです。マリアはあらゆる罪の汚れから守られていたのです。歴代誌上の15〜16章では、当時のユダヤ人たちが聖櫃を大いに敬っていた姿を見ることができます。彼らは「契約の聖櫃」を聖なるものと崇め、飾り、歌や竪琴、シンバルやトランペットを用いて褒め称えました。神は旧約を廃止するために来られたのではなく、完成させるために来られたのです。新約が結ばれた今、私たちは新しい「契約の聖櫃」を敬うのです。



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マリア: 無原罪、被昇天、取りなし手

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上で見た通り、旧約の「契約の聖櫃」は純度の高い金で作られた汚れのない物でした。ですから、罪深い人類は、聖櫃に触れることを許されていませんでした。同様に、イエズスを宿した新約の聖櫃であるマリアも、純粋で汚れのないものでなくてはなりません。このため、マリアは予め人類の罪の滲みから守られていました(=無原罪)。


アダムもエバも原罪を持たない被造物として創られていました。ですから、誘惑によって罪を犯さなければ、死を免れる可能性を持っていました。新しいアダムも新しいエバも原罪から守られています。真の神であり真の人であるイエズスは天に昇りましたが、マリアはどうでしょう?エノクやエリヤも天に上げられました。イエズスが彼らに行ったこと以下のことを、ご自分の母に対してなさるでしょうか?「さあ、主よ、あなたの力の櫃とともに、あなたの安息の地にお進みください。(詩編 132:8)」(=被昇天)


黙示録の中で、マリアは天の女王として描かれています。彼女は冠を戴き、全世界を統べる王(ダビデの子、イエズス)を産み、竜(サタン)との戦いの真っただ中にいます。イエズスはダビデの子と言われます(ルカ 1:32)。面白いことに、ダビデの血筋から王座に就いた者と女王の関係において、女王は后のことではなく、王の母のこととして描かれています。(詩編45:9、列王記上 2:17-21、歴代誌下 15:16、歴代誌下 22:10、エレミヤ 29:2等々)


列王記上 2:18-20 / バト・シェバ(=ソロモン王の母)は答えた、「分かりました。あなたのために、わたしから王に話しましょう」。バト・シェバはアドニヤのことを話そうとソロモンのもとへと行った。王は立ち上がって迎え、彼女を拝してから王座についた。王の母のために席が設けられ、彼女は王の右に座った。「一つ小さなお願いがあるのですが、お断りにならないでください」と彼女が言うと、王は答えた、「母上、願い事をお話しください。あなたの願いを断ることはしませんから」。


また、女王は母であるだけではなく、同時に人々の願いを取り次ぐ存在です。カナの婚姻の席では、イエズスの「時」はまだ来ていませんでしたが、「Woman(マリア)」の願いをイエズスは拒みませんでした。(=力強い取りなし手)



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結 論

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聖書は、旧約と新約をあわせてひとつのコンテキストとして読み解かれなくてはいけません。 そもそも「聖三位」という言葉も、聖書の中では一度も出て来ませんが、聖書を読み解くことにより導かれる神の姿です。マリアの魂は、なんと神に栄光を帰することでしょうか!!




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Salve Regina
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「Salve Regina(サルヴェ・レジーナ、元后、あわれみの母)」の絵が完成しました。


"Salve, Regina, mater misericordiae; vita, dulcedo et spes nostra, salve. Ad te clamamus, exsules filii Hevae. Ad te suspiramus, gementes et flentes in hac lacrimarum valle. Eia ergo, advocata nostra, illos tuos misericordes oculos ad nos converte. Et Iesum, benedictum fructum ventris tui, nobis post hoc exsilium ostende. O clemens, o pia, o dulcis Virgo Maria."

「めでたし元后、あわれみ深き御母、われらの命、慰め、望みよ、めでたし、われら、さすらいのエワの子ら御身に向かいて呼ばわり、御身に向かいて泣き叫ぶ。この涙の谷にて、いざわれらの代願者よ、憐れみの御目にてわれらを顧み給え。また御胎内の祝せられた御子イエズスをこのさすらいの後われらに示し給え。おお、寛容、おお、仁慈、おお、甘美なるおとめマリアよ。 」


聖母はマントを広げて人々を迎えていますが、これはヨーロッパの絵画では有名な「ミゼリコルディア(慈しみ)」というポーズ。まさに「Mater Misericordie(あわれみの御母)」の姿を表しています。また冠をかぶっていることで、「女王」であることも示しています。マントの色は青。青は天の恵みを示す色。服の白は純潔や処女性を表しています。

谷間で跪き、嘆き祈っているのは、ご想像の通りアダムとエヴァ。蛇に誘惑され、罪を犯し、恵みを失い楽園を追われたときから、人類の放浪の生活が始まりました。ですから、二人を人類の象徴とし、アダムは旅する杖を持ち、エヴァは犯した罪を悔いています。二人の服が茶色いのは、悔悛を表しているのと同時に、土の色とほぼ同じなので、人は土から造られたことも表しています。真ん中に立つのは楽園にあった命の木です。



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Ave Maria
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ちょっと前になりますが、「Ave Maria」のバージョン2を描き上げました。前回はアクリル絵具を使用したのが生まれて初めてだったので、思うように描けなかったのですが、今回は少し上達したかな??

この絵自体がシンボリズムになっていて、動作や色、ひとつひとつに意味があります。その解説は、前回の投稿をご参照ください。

http://reginapacis.jugem.jp/?eid=46

祈りを絵にするのが、今のボクのテーマ。この絵は「Ave Maria」の祈りを絵にして表したものですが、現在、「Salve Regina」の絵を作成中です。また後日、アップします。



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Consecration

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昨日(2/20)から、33日の奉献をはじめました。聖グリニョン・ド・モンフォールは、奉献は聖母に関係した記念日にあわせておこなうのがよいと勧めています。その中でも特に「神のお告げ(3/25)」の祭日に向けて奉献を準備することを勧めているようです。それは、神が肉をまとって人となることを記念する日であり、神ご自身が聖母を信頼し、聖母に依存するよう、自らをなされた出来事だからです。

 

夕方、ミサにあずかったのですが、また神さまは素敵なプレゼントを与えてくださいました!ご聖体拝領の時のこと。授けてくれたのは、ブラザー・エルナンデスでした。彼は、一度、普通の丸いホスチアを取ってボクに与えようとしたのですが、ボクの顔を見た途端、そのホスチアをカリスに戻して、カリスの中にあった司祭のホスチア(ミサ中に神父さまが聖変化させて、割ったものです)をわざわざ取り直してボクに与えてくださったんです!エルナンデスさんからご聖体いただいたことは何度何度もありますが、こんなこと(=ホスチアを取り直すこと)、初めて!昨年の誕生日にあずかったミサでも、聖体奉仕者から司祭のホスチアをいただきましたが、神さま、ほんと、ボクのことを見てくれてるんだな、恵みを与えようとしてくれてるんだなって感激しました。

 

実は、奉献始める前、いろいろな「攻撃」がありました。頭痛がしたり、心が落ち着かずイライラしたり、こんな状態では奉献始めない方がよいと直前まで思ってましたから。でも、無味乾燥な状態の中でも、自分の気持ちや感情には目を向けず、イエズスだけにしがみついて、奉献を始めることができました。これだけの邪魔が入るのであれば、きっとそれだけ大きな恵みがあるということだと思います。

 

どうか、無事に奉献ができるよう、お祈りください!!

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Ave Maria
 
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そういえば、昨年6月に描いた絵をご紹介してませんでした。

普段絵を描くときは、色鉛筆を何度も重ね塗りしながら緻密な絵を描くのですが、今回、はじめてアクリル絵具を使いました。これが難しい、難しい!!

絵のタイトルは、「Ave Maria」。
まさに「めでたし」の祈りそのものを表したものです。イコンに影響を受けて聖画を描いてみたいと思ったのだけど、テーマはオリジナル。インスピレーションをいただいたので描いてみました。しぐさや色すべてに意味があります。

イコン画の影響としては、デフォルメされた体ですね。写実的に美しい聖母を描くこともできるのだけど、写実的すぎると、外面の美しさばかり強調されて、内面の美しさに心が向かないので、イコンのようにデフォルメされた絵にしてみました。お気づきの通り、縦長な体をしています。これは、天に向かう姿を表しています。

それでは、細かい部分を説明していきます。
まず、聖母は三角形をしていますね。これは、三位一体と一致していることを表したものです。背景は金。溢れんばかりの神の威光と恩寵に包まれていることを表しています。まさに、「めでたし聖寵みちみてるマリア、主、御身とともにまします。」です。ちなみに、聖母の目は常に神の方に向いています。そして、聖母の目は、子どもの目なのです。なぜならば、子どものようでなければ、天の国に入れないから。

次に、聖母が妊娠した姿であることがお分かりですか?「御身は女のうちにて祝せられ、ご胎内の御子イエズスも祝せられたもう。」だからです。母性を象徴するとともに、聖母とイエズスは一体であること、聖母はいつもイエズスを運んできてくださること、そして、聖母がおられるところにはイエズスもおられることを表しています。白い衣は、聖母の処女性、無条件の愛や謙虚さ、シンプルさを表しています。

同時に、聖母は青いマントをはおっています。これは、「天の女王」であることを示しています。「天主の御母、聖マリア」の部分で、女王としての威厳も表現しています。

聖母の手に注目してください。ひとつの手は胸にあてられ、もう片方の手は招くようにひろげられています。胸にあてられた手は、祈り、特に観想を表しています。聖書にもある通り、聖母は起こった出来事をいつも記憶して思いめぐらせていたからです。もう片方の手は、人々を招き受け入れるために、外に向かってひろげられています。招くと同時に、胎内のイエズスを示しているのです。そして、その手は祝福を与える形になっています。また、目はしっかり神の方に固定されつつも、体は前のめりです。これは、人々の祈りに耳を傾けると同時に、人々の方に向かってかがみ、すぐにでも助けにいこうとしていることを表しています。「恵みの母」としての姿です。「罪人なる我らのために、今も臨終のときも祈りたまえ。」の部分にあたります。

もう一度描き直してみたいなー。(実は、下書きはもう一バージョンあります。)

あと、うれしいニュースがひとつ!
すでにご存知かもしれませんが、「天使祝詞」の口語版が改定になるようです。より聖書の内容に忠実な祈りの文句になっていて、ボクはとてもうれしい限り!!3月25日まで意見を募っているようですので、ぜひ皆さん、カトリック中央審議会にメールしましょー!

アヴェ・マリア、恵みに満ちた方、主はあなたとともにおられます。あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されています。神の母聖マリア、罪深いわたしたちのために、今も死を迎えるときも祈ってください。アーメン。

http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/news/20101208.pdf


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