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Message from Queen of Peace: April 25, 2010

mary



2010年4月25日 メジュゴリエの聖母のメッセージ

愛する子どもたち!あなたたちがわたしの取次ぎを特に祈り求めているこのとき、かわいい子どもたち、あなたたちを祈りに招きます。あなたたちの祈りを通し、より多くの人の心がわたしのメッセージに対して開かれることを手助けするために。わたしの意向のために祈ってください。わたしはいつもあなたたちと共にいて、いつもあなたたちひとりひとりのために御子の前で取りなしています。わたしの招きにこたえてくれてありがとう。



Message of April 25, 2010

“Dear children! At this time, when in a special way you are praying and seeking my intercession, I call you, little children, to pray so that through your prayers I can help you to have all the more hearts be opened to my messages. Pray for my intentions. I am with you and I intercede before my Son for each of you. Thank you for having responded to my call.”



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Medjugorje / 6. Ite Missa Est


でも、実際は違っていたんです! 


日本に戻ると、あまりにもモノや情報にあふれている物質的な環境に嫌気が差しました。そして、これまで遊びに行っていた場所には行けなくなっていました。行こうとしても、体が拒否反応を示すのです。 


このことから、アドバイスとして言えることは、クラブや多くのバー、そして、いわずもがな風俗店などが密集しているような歓楽街には近づかないことです。なぜなら、目には見えませんが、こういう場所にはものすごく「良くないもの」が存在しているからです。そういった地域に近づくだけで体が拒否反応示し、急激に体調が悪くなります。霊的に敏感になったのだと思います。 


また、これまで一年に何回祈るだろうというような自分が、朝、完全な沈黙の中で神と自分に向き合う時間を作らないとダメになっていました。それどころか、1日中、心の中でイエズスと会話するようになりました。聖書を読むと、そこに隠されている深い意味が心の中で響き渡るし、心が霊的なものをどんどん渇望するようになりました。 


特に、沈黙の時間を作り、祈りのうちに神さまと、そして自分自身と対峙するということは本当に大切なことだと思います。モノや情報に溢れる現代社会、忙しさに流されっぱなしの現代社会、五感はあっぷあっぷ状態です。自分に立ち戻る時間を与えてくれません。「忙」とは「心」を「亡くす」ことです。心が死んだままで、一体何をするというのでしょう? 


また、ずっと聖母が自分にとって中心だったのに、彼女はご自分の役目を終えられて、いつの間にか謙虚に身を隠されていました(もちろん今でも一緒にいてくださいますが!)。そして、あれだけ苦手だったイエズスが、とても自分に近くなっているのに気づきました。神の想像もできなくらい愚かなまでに深い愛がだんだん分かるようになってきたのです。 




では、ボクは、浮世離れした仙人にでもなったのでしょうか?あるいは、狂信的な信者にでもなったのでしょうか? いいえ。大切なのは、回心後でも聖人や狂人になるのでもないということです。見た目も、嗜好も、長所も短所も、そのままです。誘惑もたくさん。


でもそれでいいのだと思います。というのも、神さまはボクをボクとして創ってくれたわけですし、ありのままのボクを愛してくれているからです。ただ、歩んでいく「道」が完全に変わったのです。イエズスに向かって、イエズスの教えてくれたことに従って歩んで行く道に。自分の特性は何も変わっていないけど、愛のために自分の何かを犠牲にするということを学ぶようになったのです。そもそも「聖人」とは、何かとてつもなくすごいことをする人ではなくて、リジューの聖テレーズが言っている通り、「一番小さなことを愛を込めてする人」のことです。 


同時にこの体験は回心の始まりに過ぎないということも分かりました。自分は信仰のスタートラインに立っているのであって、これが終わりではなく、日々前進していかなくてはいけないのだと。 回心直後は、すべてがバラ色に見えるものです。けれど、そんな神さまとのハネムーンの時期は遅かれ早かれ終わります。そして、無味乾燥な時期があったり、常に山あり谷ありです。


しかし、一つだけ明らかに不動なものがあります。それはどんな状況でも消えないイエズスとの結びつきです。 いろいろな奇跡(目に見える奇跡、癒しの奇跡、回心の奇跡)があるといわれるその村で、ボクは一度も目に見える奇跡は見たことありません。かれこれもう10回はメジュゴリエに行ってるんですよ!でも一度たりとも可視的で物理的な奇跡は見ていませんし、それどころか、自分には不要だと思います。奇跡を見ても心が変わらなくてはなにも意味がないですから。 




そもそも、一瞬にして心が変わる以上に素晴らしい奇跡はないのではないでしょうか?その一番大きな奇跡が、ボクに起こったのです。 ボクがなぜこの村に行くよう強い促しを感じたのか、誰の目にも明白だと思います。


全ての出来事が見事につながっています。神さまはその人にとってベストなものをベストなタイミングにベストな方法で与えてくれるものです。人生は決してイジワルなものでなく、最良なものを用意してくれています。ただし、ココロを開いていなければ、それに気付くことはできません。 いつもネガティブな考え方をして常に斜に構えていた自分が、これほどポジティブ思考になったこと、そして、苦しさやツラさにも意味を見出し、人生の全てに感謝することができるようになったことに、まさに感謝です。 


+ Deo Gratia +




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+ 4. 奇跡 




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Medjugorje / 5. The Time of Grace




幻視者の一人(Jelena、イェレナ)が、話を分かち合ってくれるということで、教会裏のテラスに来たい人はどうぞというアナウンスがありました。


別に幻視者に興味はそれほどないけど、ま、行ってみようかなと思いました。


あたたかい日差しに包まれたテラスで座って周りを見まわすと、ここは天国かと思いました。というのも、老若男女、肌の色も違えば、言葉も違う、つまり世の中ではいろんな争いの原因となるものがここに一同に会し、みんな心から嬉しそうなんです。狂信的な笑みではなく、本当にみんな素朴に微笑んでいて、村の空気が平安に満ち溢れているんです。 




そんな平安な雰囲気に浸ってる中、幻視者が話を始めてくれるのを待っていると、なんと「あの神父さま」が歩いてきたのです!彼はまだメジュゴリエを去っていなかったのです!!しかも、ボクの真横に腰掛けたんです!!!もう心臓バックバク!!!!「これは、絶対告解せなあかん!」と。 


イェレナの話が終わった後(告解のことで頭がいっぱいで、ほとんど彼女の話を聞いてなかったように思いますが・・・)、すかさずその神父さんの腕をつかんで言いました!


「Father, I have to make a confession NOW! (神父さま、私は、今、告解しなくちゃいけないのです!)」 


その神父さんは快く受けてくださって(そのときもちょっと挙動不審で、この人で大丈夫かいな?と内心思っていましたが・・・)、クリージェヴァッツがよく見えるベンチに腰掛けて、ボクの告解を真剣に聞いてくださいました。 告解が終わり神父さんが祝福してくださった後、心の重荷がすっと消えてなくなっている自分に気づきました。 


山上の十字架を見つめながら、嬉しさと感謝で涙が溢れてきました。聖母が善きママとして、これまでの人生の中、いつも横に一緒にいてくださり、本当に自分を神さまのもとに導いていってくださったなという実感がひしひしと溢れてきたからです。 




しかし、同時にとても現実的でひねくれた自分もいました。


「自分は今、このような雰囲気の場所にいるから、こんな感覚になってるんだ。この回心もすぐに消えてしまうんだろうな。東京にもどれば、またいつもの生活が始まるさ・・・。」 



to be continued...




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+ 4. 奇跡 




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Medjugorje / 4. Miracle


そうこうして、メジュゴリエでの日々も終わりに近づき、翌日帰国を迎える日となりました。


朝、目が覚めると、なぜかものすごく「告解しなくては!しかも、これまで告解したことをもう一度心から告解しなくては!」という気持ちが湧いてきました。「告解(こっかい)」とは、自分の犯した罪を悔やみ、隠すことなく正直に告白し、イエズスの地上の代理者である神父の権能を通して、神さまに許してもらうことです。よく映画なんかで、ブースに入って「神父さま、私は罪をおかしました!」というシーンがありますが、あれです(あんな演技ったらしいことはしませんが・・・)。 でも告解では、神父という「スクリーン越し」にイエズスと直接出会うんです。すごい恵みです。 


日本でもしょっちゅう告解していたし(でも心はこもってませんでした・・・)、わざわざこの村ですることもないし、東京に戻ったらいつもの神父さまのところで告解しようと思いました。しかし、「ここで告解しなくてはいけない!」という、また強い「促し」がやってきて、それがなかなか消えません。とりあえず朝のミサに行くことにしました。 




「もし告解するのなら、あの神父さんにしよう。」と心に浮かんだ神父さんが一人いました。まだ若くてちょっとびくびくしてるのですが、ミサ中は神秘家のようにすごく深く丁寧に祈っていたので、「あの人だ!」と直感的に分かったんです。世界のあちこちから来る巡礼団のために、午前中のミサは、毎時間各国語で捧げられます。ボクはいつも英語のミサにあずかってました。教会に着くと、あまりにもたくさんの人がいて座れないので、通路側に立っていました。ミサが始まりましたが、件の神父さんが祭壇上に見当たりません・・・。「もしかして、巡礼団と一緒にもう帰国されたのかな、だったら告解できないな・・・。」と思いました。


そんな中、ミサ中にふと顔を上に上げると、ある一枚のステンドグラスが目に入ってきました。 そのステンドグラスのモチーフは、十字架上でなくなられたイエズスが頭を垂れ、その足元に聖母が抱きついているというデザインのものでした。ちょっと抽象画っぽいモダンなステンドグラスでした。 それを見た瞬間、心の中にイエズスと聖母が語りかけてこられたのです。




彼らの声を直接聞いたのではありません。何と説明していいかわからないんですが、インスピレーションを通してと言ったらいいのか、心に直接語られたといったらいいのか・・・。 


イエズスが言われました。
あなたは、毎回罪を犯すたびに、私をこのように十字架の上で殺しているのだよ。 だけど、私はあなたを愛しているし、赦している。


聖母も同じように言われます。
あなたは、毎回罪を犯すたびに、私の最愛の子をこのように十字架の上で殺してしまっているのですよ。 けれど、私はあなたを赦していますし、愛しています。」 


この言葉を内的に聞いたとき、ボクの心にはこれまで犯してきた罪の重さが走馬灯のように回顧され、洪水のように涙が溢れてきました。「いったい自分は何をしてきたんだろう?大したことないと思っていたことでも、どれほどイエズスとその母を傷つけてきていたんだろう?」 自分の罪深さをまざまざと痛感させれたのです。同時に、深い海のような神の愛が、ボクをすっぽり包み込んでくれているのが分かりました。 


ミサの間には、司式する神父と信徒が呼応する箇所が多々あります。  
神父: 「主はみなさんとともに。」  
信徒: 「また、司祭とともに。」 
 いつも何気なくソラで発している言葉なのですが、このときは違いました。その何気ない言葉一つ一つに神の愛を感じ、その言葉が発せられるたびに心が愛の槍で突き刺されたようになって、聞く度に涙が溢れ出てくるんです。 




ミサのあと、「これは“絶対”今日告解しなくてはいけない!」と思いました。でもあの神父さんはいないのです・・・。 



to be continued...




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+ 4. 奇跡 




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Medjugorje / 3. At Krizevac


カトリックには、「十字架の道行」という伝統的な信心業があります。 


 これは、ゴルゴダの丘までのイエズスの受難の14の場面を、ひとつひとつ思いめぐらしながら祈る信心業です。 クリージェヴァッツには、この「十字架の道行」が頂上に至るまでに道中に設置してあり、ここでも多くの「奇跡」が起きてると聞いていたので、とりあえず登ってみることにしました。自分にも何か起こらないかなってちょっと期待してましたけどね(笑) 


(十字架の道行の一場面)


山頂にある大きな十字架は、村人が信仰のしるしとして、男も女も子どもも老人もみなでコンクリートを運んで作ったものです。この中には、ローマ(=バチカン)から贈られた本物の十字架の破片(聖遺物と言います)が埋め込まれています。 


 この地域周辺の人たちは、素朴な人たちですが、岩のように固い意志を持ってます。オスマントルコの支配下で「改宗か!それとも最下層の生活か!」と迫られたとき、先祖から守ってきた信仰を捨てて改宗することを善しとせず、断固拒否し、敢えてしいたげられた生活を送ることを選んだ人たちです。トルコ圧政の時代、多くの神父たちは殺されるか、その前にこの地を去っていました。ですが、フランシスコ会の修道士たちだけは、この地の人たちのために命がけで留まり続けました。しかし、ミサを捧げたり神父をかくまう者がいれば、死刑にされてしまいます。なので、神父はトルコ風のヒゲをはやし、家々を訪問してひっそりとミサをあげていました。 


また、今でも神父を呼ぶとき、地元の人々は「〜おじさん」と呼びます。トルコの憲兵が神父をかくまっていないか突然調べに来ても、親たちは子供たちに「ダルマチア地方から親戚の○○おじさんが来ていたと答えなさい。」と教えていたからです。もちろん、命をかけて先祖たちを世話してくれたフランシスコ会士たちへの尊敬と親愛の情も込められています。


さて、クリージェヴァッツを祈りながら登ると、頂上までは若い人でも1時間くらいかかります。ものすごくゴツゴツした岩山なので、予想以上に大変です。そこを巡礼者のお年寄りがカモシカのようにひょいひょいと登っていくのです!驚きました。中には「償いのために」と裸足で登るツワモノもいます。信仰は人を若くするのでしょうね。


(クリージェヴァッツの山道)


山の上まで辿りついたとき、すごく嬉しかったですね。写真で見た十字架が目の前にあるし、山登り特有の達成感というか爽快感というか。この地は空気が澄み渡っているので、すべてが美しく心地よいです。神さまとお話して感謝の祈りをささげたり、ロザリオを祈ったりして時間を過ごし、しばらくして下山しました。


下山途中、韓国から来ている巡礼団が目に入りました。彼らは地べたに座り、目を閉じ、両手を天に向けて広げ、大きな声でとても感傷的に祈っていました。傍目からは、まるでいかがわしい新興宗教団体のように見えました。同じアジア人として、他の人たちがボクも彼らの一員だと思ったりしないかな・・・とイヤな気分になるのと同時に、その巡礼団に対してなにか軽蔑的な感覚が起こり、とにかくさっさと降りようと思いました。


自分の中に、韓国の人たちを嫌っていたという意識があったことも否めません。ちょうどその巡礼団の真横を通りすぎたとき、祈っていた一人の婦人と目があいました。みんな目を閉じて大声で祈っているのに、その人だけが目を開いて、ボクの方を見て微笑んでるんです。




その微笑がものすごくあたたかくて美しく、一瞬にしてボクの心を溶かしてしまい、下山している間ずっと涙がとまりませんでした。それは、あたかも聖母が彼女を通して微笑まれたようで、「誰をも差別してはいけませんよ。みんなを愛しなさい。」と言われているようでした。





to be continued...




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+ 4. 奇跡 




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Medjugorje / 2. Journey



会社は休みをきちんとくれますし、それも長期休暇が取れるので、毎年二回は海外の友人のところを訪れたりしています。当時はハンガリーなどの東欧にはまっていて、何度も同じ場所に行っていました。とても居心地の良い会社なのですが、自分の好きな仕事ではないしと思っていたんです。けれど、神さまは本当に上手くすべてを整えてくださいます。もしこの会社に入っていなければ、これだけ長い休暇は取れないんですから、「あのこと」も起こりえなかったんです。 


 そして、「こと」が起こり始めることになりました・・・。 


1998年の夏頃のこと。そろそろ秋の旅行プラン立てないとなと、東欧の友人の所へ行くことを考えはじめていました。でも、心の中に「ある促し」を感じるんです。その促しは、バルカン半島にある「メジュゴリエ(Medjugorje)」という小さな村の巡礼地へ行くようにという促し。聖母が20年以上現れていて、人々に平和と回心を訴えられている場所で、世界中から何百万人もの人がやってくる巡礼地です。 




メジュゴリエのことは以前から知っていましたが、自分が行こうだなんて思ってもいませんでした。どうやって行けるか分からないような、本当に小さな寒村なのです。交通手段もないし、どこに泊まれるかも分からないし、当時は日本から行ったっていう人も聞いたことないし、情報があまりにも少なすぎ。しかし、その促しはあまりにも強く、「今しかない!今を逃してはいけない!」という感覚だったんですね。 とりあえず、インターネット等で収集できる情報を、国内外から集め始めました。やはり情報集めは簡単ではありませんでしたが、それでも一応行き方が分かり、宿も取れ、準備完了!こうなったからには、とにかく行くしかありません。


( 飛行機から望むアドリア海 ) 


後日、もっと近道があったことを知ったんですが、その時、自分がアレンジした行き方では、とてつもなく時間がかかりました。まず、飛行機でウィーンまで12時間、ウィーンにて一泊、ウィーンからザグレブ(クロアチア)まで1時間のフライト、そこから夜行電車に乗り、スプリット(クロアチア)という港町まで8時間、その後、灼熱の中、クーラーの効きが悪いバスに揺られ村まで4時間・・・。若かったですね。けれど、真っ青なアドリア海の美しさや雄大な自然には、心底感嘆しました! これぞ被造界の素晴らしさ!!大自然は神さまの美しさを反映しています。 


( 港町スプリットの街並みや、メジュゴリエに向かう道中の自然 ) 


そういう「受難の道」を乗り越え、憧れの目的地、メジュゴリエに到着! しかし・・・。 最初、正直ものすごく来たことを後悔したんです。 この村は、とても聖なる場所で、人々もみな聖なる人で、神聖な雰囲気で満ちていると思いこんでいました。ところがです。教会の周りには、浅草の雷門に負けるとも劣らないほどお土産やさんがビッシリ!商魂逞しい人たちが、教会の周囲の土地を陣取っているんです。 「こんな物質的なところに一体自分は何しに来たんだろ・・・。これから毎日ここで何すんだろ・・・。」 気持ちがブルーになりました。本当に「今すぐ日本に帰る!」と思いましたから。 だけど来てしまったからには仕方がいない・・・。 飛行機のチケットは替えられませんしね。早く時間がすぎてくれることだけを祈ってました。 


( メジュゴリエのシンボル、聖ヤコブ教会 ) 


とりあえず、巡礼に来る人たちと同じように、朝と夕方にミサにあずかり、それ以外の時間は十字架のある山(=Krizevac クリージェヴァッツ)に登ったり、静かに祈ったり、神父さんのお話を聞いたり、聖母の出現を受けている人たち(幻視者と呼ばれます)の話を聞いたりして毎日を過ごしていました。



to be continued...




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+ 4. 奇跡 




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Medjugorje / 1. Prologue


ボクがメジュゴリエで体験した回心の奇跡についてシェアしたいと思います。長くなるので、数話に分けますね。 

 
「こと」は1998年の秋に起こりました。 


ボクは94年に洗礼を受けたので、クリスチャンとして4年経った頃ですね。正直に告白します、 当時の生活と言えば、毎週土曜には六本木へ繰り出し、外国人や業界の友だちとクラブやパーティ三昧!物欲も強くて、毎週のように服を買ってました。一方、週末はかならずミサに行っていました。でも、ミサに行くのも、「信者としての勤め」だというくらいの認識だったんですよね・・・。聖書は全く読んでいなかったし、祈りなんて一年のうち何回するだろう程度。全然心もこもってませんでした。 


カトリックの洗礼を受けたは良いものの、自分にとって神さまの存在はすごく遠かったのです。そもそも、髭面って苦手なんで、生理的にイエズスのことも好きになれないし(イエズス、ゴメンナサイ・・・)。イエズスの教えは素晴らしいとは分かりつつも、聖書に書いてあることがなかなか受け入れられません。 


特に「十戒」。「あなたは私以外を神としてはならない。」とある箇所が、すごく心に引っかかっていたんですよ。「神さまって愛でしょ?神さまって謙虚なんでしょ?では、なぜ自分以外を拝むななんて言えるんだ?確かにあなた以外に神はいないと思ってるけど、自分で言うのってどうなの??ちょっと傲慢なんじゃないの??」という感じでしたね(笑) 




でも、だんだんと分かってきました。聖書は文字面だけ、あるいは、文字通りにだけ受けとっちゃいけないんだと。言葉の裏にあるものをしっかり見据えないといけません。神さまは愛です。そして僕たちのパパです。それも極上のパパです。親は子どもを愛しているので、子どもが間違った道へ足を踏み入れて、破滅的な人生を送ってもらいたいとは思わないはず。それは、神さまでも一緒。つまり、「危ない人」についていって、人生を破壊しないよう、予め親としての愛で「パパ以外の人についていっちゃダメだぞ!」と言ってくれてるんだということが分かりました。 それでもまだまだ神さまの存在は遠かったですね・・・。


では、誰が自分を助けてくれていたかというと、聖母です。ボクは生粋の「マリアっ子」でした。幼稚園はプロテスタント系(バプテスト)だったけど、そのころからすでに聖母に惹かれていて、幼稚園児ながら、カトリックになりたいと思っていました。そして、聖母はその後の人生もずっと手を引っ張って一緒に歩んでくれました。ちなみに、実家はクリスチャンじゃありません。それにしても、こんな素敵なママはいません。しかも「イエズスのママ=ボクたちのママ」です!聖母は慈愛に満ち溢れた顔をいつもしていますが、ところがどっこいニコニコしながらも“かなり”厳しいしつけをする教育ママです。そのことはおいおいに。 



to be continued...




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+ 4. 奇跡 




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