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Fatima
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ポルトガルの工房にお願いしていたファティマの聖母の木彫り像が、先日到着しました!今まで見た中でも、本当にオリジナルのご像に一番近いです。聖母の息遣いまで聞こえて来そう!!



finally received the wood carved statue of "our lady of fatima" from the studio in portugal! they make one of the most resembling one to the original statue. can you hear her breath?



our lady of fatima



our lady of fatima



our lady of fatima



our lady of fatima




our lady of fatima



our lady of fatima



 

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Nossa Senhora de Fatima
fatima

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今日はファティマの聖母の祝日。



ファティマでの出来事を映画にしたものはいくつかりますが、"The 13th Day(13日目)"というタイトルのこの映画は、映像が美しく、シスター・ルシアが語る形で進められていて、とてもよい作品です。ぜひご覧ください。




Today is the feast of Our Lady of Fatima.



There are some films based on the event of Fatima, but the recent once called "The 13th day" is one of the best! Here is the video you can watch on YouTube.

 






 
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Our Lady of Fatima
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our lady of fatima



ポルトガルにある工房に、ファティマの聖母のご像を依頼していましたが、写真と共に完成したとの連絡が!



木彫りに彩色したもので、すべて手作業によって丁寧に作られます。こちらの工房は、特に顔と手の美しさに細心の注意を払うようですが、それ以外の完成度も素晴らしい!!熟練した職人の手を通してでしか、これほどに素晴らしいものを作ることは不可能。最近、美しい聖母のご像が少なくなってきているように思いますが、こういう昔ながらの職人技と伝統美を、いつまでも後世に引き継いで行って欲しいものです。



美しいご像やご絵を見ていると、自然と心は深い祈りへと引き込まれます。「美」と「善」は表裏一体。ギリシャ語では、どちらも同じ単語「καλοs(カロス)」であり、「良き羊飼い」は「美しい羊飼い」でもあり、真の美は善へと導くものなのです。だからこそ、教会には美がないといけないのです。



i have received the mail from the art studio in portugal and they told me that the wood carved statue of our lady of fatima (which i ordered in january) was finally completed!



it's all hand-made/hand-painted. see how delicate the work is. the studio particularly pays the special attention on the face and the hands upon carving, but the other parts are also astonishing! skilled craftsmanship is indeed required in order to produce such a wonderful masterpiece. sadly, it's so difficult to find the beautiful statue of the blessed virgin nowadays, but we must carry on the elaborated technique and traditional beauty to the next generations to come.



the beautiful statues/images invite us into the deep prayer. "beauty" and "goodness" are the two sides of the same coin. in greek, "kalos" expresses the both meaning. the "good shepherd" is also the "beautiful shepherd". the true beauty leads us to the true goodness, thus we need the beautiful items in the church.
 


 
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Sister Act
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鳥肌!リアルな「天使にラブ・ソングを」!!イタリアのリアリティ番組「the Voice of Italy」に、聖家族のウルスラ会のシスター・クリスティーナが出場し、アリシア・キースの「No One」を熱唱。会場の盛り上がりと審査員たちの驚く顔が秀逸☆ 特にJ-AXの泣きそうな瞳は、彼の心に深くシスターの歌が届いたからだと思います。



「ここに来たのは、私も歌の賜物をいただいているからで、みなさんとこの賜物を分かち合いたいのです。そして、福音をのべ伝えたいのです。」



the real "sister act"!! sister christina, a member of the ursuline sisters of the holy family, appeared on the italian reality show and sang alicia keys' "no one". see how people are excited and the judges are astounded! especially, j-ax's impression shows us how deeply he is touched by her voice.



“I came here because I have a gift and I want to share that gift. I am here to evangelize.”





 
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Little Nellie of Holy God
nellie

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2月2日は、「主の奉献の祝日」ですが、隠れた聖人、ネリーちゃんが天に召された日でもあります。しかも、彼女が天に召された106年前の2月2日は、今年と同じ日曜日でした。



ネリーは、"Little Nellie of Holy God (聖なる神の小さなネリー)"や"The Little Violet of the Blessed Sacrament(ご聖体の小さきスミレ)"と呼ばれ、本名は"Ellen Organ(エレン・オーガン)"。4歳という幼さで聖体の神秘を理解し、聖なる短い人生を全うしました。



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■ 生い立ち
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1903年8月23日、アイルランドのウォーターフォードで生まれました。4人兄弟の一番下でしたが、2歳の時、母親が結核で他界。この時、兄弟全員9歳以下でした。子供たちにはまだ母性のぬくもりが必要と考え、父親は彼らを修道院へあずけます。ネリーと姉メアリーは、「よき羊飼いの姉妹会(Good Shepherd Sisters)」にあずけられ、シスター全員を「おかあさん」と呼んでいました。





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■ プラハの幼子
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ネリーが夜中に苦しんでいるのを知り、調べてみると、背骨が歪み重度の結核が進行ことが分かりました。すでに末期症状で、医師は余命数ヶ月だろうと判断。このころ、彼女はプラハの幼子のご像に魅かれ、子供らしい単純さでご像に語りかけ、看護師の勧めで、病気を癒してもらえるようノベナを開始。ノベナの後、一時的に回復したため、ますます幼きイエズスへの信頼を深め、様々な神秘体験にあずかるようになりました(幼きイエズスがネリーのために踊っているビジョン等)。




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■ ご聖体へのあこがれ
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ネリーは、まだ誰からも習っていないのにご聖体の意味を理解し、「隠されたイエズス」と呼び、また、神秘的にご聖体の存在を感じることができました。ある時、世話係が朝の仕事で忙しく、ミサにあずかっていなかったのですが、ネリーの部屋に入るなり、「あなた、今日、聖なる神さまをいただいてないわ。」と当てることができました。また、初めて聖体顕示をチャペルで見た時、ネリーは感動して一緒にいたシスターに「おかあさん、あそこに彼がいらっしゃるわ!聖なる神さまがいらっしゃるわ!」とささやきかけ、聖体に視線が釘付けとなり、小さな手を聖体顕示台に向け、表情が恍惚の内に変容しました。

この時、修道院長もその場にいあわせ、以下のように綴っています。

「それは、10月の最初の金曜日の出来事でした。私は廊下を歩いていたのですが、チャペルのドアが開くと、看護役のシスターの手を握ったネリーが、静かに、そして祈りにふけった様子でよちよちと出て来ました。ネリーの具合がずっと悪かったことを思い出し、彼女の前に片膝をついてかがみこんで尋ねました。『気分はどう?』 ネリーは私の肩に顔をうずめ、静かに泣き出しました。しかし、彼女の涙は悲しみの涙ではなく、甘美な涙でした。それは、聖なる感情であり、言葉にならない涙のうちに溢れ出る幸福感によるものでした。その時、神はこの子に何か特別なご計画をお持ちであり、長上である私は、そのご計画を完成させるお手伝いをしなくてはならないのだと、内的に理解いたしました。」

ネリーは、ご聖櫃におられる主は、「閉じ込められた捕らわれ人」と見ていて、聖体礼拝が行われる時には、「チャペルに連れていってちょうだい!今日はイエズスが閉じ込められていらっしゃらないから!」と言っていました。




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■ 病とイエズスのビジョン
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一方で、ネリーの体は蝕まれて行っていました。新しい歯が、舌の付け根を突き抜けて生えてきており、強烈な痛みをもたらしていたにも関わらず、耐えていました。また、結核が肺をボロボロにしていただけでなく、カリエスも併発していて、顎の骨が崩れ、悪臭を漂わせていました。この頃、彼女は主の受難と十字架を意味を理解し、十字架を手にして激しい痛みに耐えていました。

ある朝、シスター・インマクラタと看護師のホール女史が、一晩中苦しんでいたネリーを心配して訪ねてきました。

ホール女史:「具合はどう、ネリー?あなたがもう神さまのところへ行ってしまっていないか、ひやひやだったのよ。」
ネリー:「まだよ!神さまは、ネリーはまだ彼のところに行けないっておっしゃったの。」
ホール女史:「神さまについてどんなことを知ってるの?」
ネリー:(ベッドの横を指さしながら)「神さまは本当に来てくださって、そこに立っていたのよ。そして、そうおっしゃったの。」
シスター:「神さまはどこにいたの、ネリー?」
ネリー:(同じ場所を指さしながら)「そこよ!」
シスター:「イエズスはどのような姿をしてらしたの?」
ネリー:(胸の服のひだに手を当てた格好で)「こんな感じ。」

シスター・インマクラタとホール女史は驚き、これは子供の妄想なのか、はたまた事実なのか悩み、ネリーが同じことを話すまでは誰にも言わないことにしました。ネリーの死の間際、院長のシスター・フランシスがネリーにイエズスのご絵をあげた時、ネリーは、「あたしがイエズスを見るときの姿とは違います。」と語り、院長が「どんな姿なの?」と尋ねると、「こんな感じよ。」と以前と同じ格好を取りました。院長は、ネリーがイエズスを見ているとは知らなかったので、非常に驚き、シスター・インマクラタとホール女史にこのことを語ったため、彼女たちは主に感謝を捧げ、ネリーの秘密は多くの人の知るところとなりました。




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■ 深い信仰
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まだ4歳であるにも関わらず、さまざまな祈りを覚え、イエズスの受難への深い信心を持っていました。自分の苦しみを主の受難に合わせ、どのような痛みにも不平をもらしませんでした。激しい痛みに襲われると、十字架を手にとり、「かわいそうな神さま!あぁ、かわいそうな神さま!」と祈り耐えていました。誰かが彼女の苦しみに同情すると、「神さまがネリーのために十字架の上でがまんしてくださったことに比べたら、何でもないわ。」と微笑みながら答えました。

また、シスターたちのため、司教のため、看護師たちのため、お友だちのため、教会と教皇のためにいつも祈り、ロザリオの祈りを愛していました。主祷文を唱える大きな珠と十字架にキスし、ゆっくりと深い祈りのうちにロザリオを唱えました。ある日、院長が彼女を訪れ、「ネリー、おしゃべりしましょうか?それともロザリオのお祈りする?」と尋ねると、ロザリオを祈ることを選び、一緒に祈り始めました。すると、ネリーは「院長さま、ひざまづかなきゃ。」とささやきかけます。院長が聞こえないふりをしていると、一連が終わりかけたときに、再び「院長さま、ひざまづかなきゃだめよ。」と語りかけ、ネリーと一緒に最後までひざまづいて祈らなくてはなりませんでした。




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■ 聖体への憧れ
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当時、初聖体は12歳頃が慣例でした。しかし、4歳のネリーは、聖体への強い憧れを抱いていました。ある時、ネリーが院長にお願いします。「院長さま、明日の朝、神さまをいただいたら、イエズスをあたしのところへ連れてきてくれる?」院長は少し考えて、こう答えました。「明日の朝、あなたのことを神さまがよく目にかけてくださるよう、頼んでみましょう。そして、ごミサの後、あなたに会いに来ましょう。」けれど、翌朝、当然のことですが、院長はご聖体を運んでは来ませんでした。そのことにネリーは失望し、激しく泣き出しました。

その日、一日中、ネリーはふさぎ込み、誰かが何か必要か尋ねると、「大丈夫。ただ神さまのことを考えているだけなの。」と答えました。けれど、すぐにちっちゃな頭は「名案」を思い付きます。翌朝、看護師の耳にこうささやきました。「チャペルで神さまをいただいたら、すぐにあたしのところに来てキスして欲しいの。それからまたチャペルに戻って。」ネリーは、聖体をいただいた人の唇に恭しくキスをすると、深い祈りの沈黙に浸り、チャペルへ戻って主への感謝を捧げるようにと小さな手を振るのでした。




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■ 初聖体
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イエズス会のベリー神父の黙想会に参加していたシスターたちが、ネリーがご聖体を熱望していることを神父に話しました。神父は、「聖アルフォンソもご聖体を熱望した小さな子供に授けたのですから、司教様がお認めになれば、ネリーも受けることができるでしょう。」と賛同してくれました。

神父はネリーに会いに行き、ご聖体とは何かと尋ねました。「ご聖体は、神さまです。シスター方やみんなを聖なる人にしてくださる神さまです。イエズスはあたしの舌の上に来てくださり、そして、私の心の中に入って行かれます。」ベリー神父は驚嘆し、すぐに司教へ手紙をしたため、聖体を与える許可をいただきました。

聖体をいただけることを知ったネリーは、「神さまをあたしの心の中にいただけるんだわ!神さまをあたしの心の中にいただけるんだわ!」と喜び興奮しました。初聖体の前夜は眠れず、一晩中、付添いのシスターにもう行く時間じゃないか尋ね続けました。「お星さまが見えなくなったわ!もう起きる時間でしょ?」

1907年12月6日。初金の朝。真っ白のドレスに身を包んだネリーは、頭を垂れてじっと静かに祈っていましたが、ベリー神父がご聖体を持って近づいてくると顔を上げ、天的な恍惚のうちに、ご聖体をいただきました。ベリー神父は綴っています。「この子は、文字通り、神へ飢え乾いていました。愛のうちにうっとりと、私の手から神を受け取りました。」

不思議なことに、カリエスによる顎の悪臭が、初聖体の後、ぴったりと止まりました。




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■ 死に向かって
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しかし、彼女の健康はどんどん悪化して行きました。ほとんど食べ物を口にすることができないようになり、あたかもご聖体だけで生きているようでした。彼女の苦しみを目の当たりにし、シスターたちは涙するのですが、「なぜ泣くの?神さまのところへ行けるんだから、喜ばなくちゃ。」と逆に励ますのでした。また、頭痛で不平を言う人がいれば、「神さまがあたしたちのために耐えてくださった苦しみに比べたら!」と叱咤しました。

死の時が近づくについれ、イエズスの出現を頻繁に受けるようになります。イエズスと二人だけで話せるよう、しばしば、他の人たちに一人にしてくれるように頼みました。一人ぼっちで寂しくないのか尋ねると、「とんでもない!神さまとお話ししてるんだもの。」と答えるのでした。また、病気で苦しむ人たちのために祈るように頼まれると、彼女の取り成しの祈りで、多くの人が癒されました。




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■ 聖なる死
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ネリーは、自分は主の日(=日曜日)に召されると言っていました。明らかに彼女は日に日に衰えて行きました。1月30日、院長はネリーに語りかけました。「ネリー。神さまのところへ行ったら、私も神さまのところへ行けるよう、頼んでくれないかしら?私も天国を待ち望んでいるの。」ネリーが院長の顔をじっと見つめると、その瞳は超自然的な光で輝き、「神さまは、院長さまを連れて行けないわ。院長さまがもっと善くなって、神さまが院長さまにやって欲しいと思っていることをやるまでは、連れていけないの。」と答えました。

2月のロザリオの当番くじが子供たちの間に配られると、ネリーは2月2日、奉献の祝日の当番となりました。また、その年の2月2日は日曜日でした。金曜日にネリーの容体が悪化し、もうだめかと思われましたが、持ち直し、土曜日は、苦しみの内に生と死の間をさまよいました。ネリーの苦しむ姿を見ると、誰もが胸が張り裂けそうでした。2月2日になると、シスターたちが交代で、ネリーのそばで祈り続けました。

15:00に近づくと、ネリーは静かになり、一時間ばかりじっとしていました。その間、彼女はベッドの足の方をじっと見つめていました。シスターによると、彼女の視線は、死にゆく人のどんよりしたそれではなく、素晴らしい何かがあったといいます。やがて、ネリーの瞳からは喜びの涙が溢れ出し、そこにいる「何か」に向かって近づこうと起き上がろうとしました。そして、にっこり微笑みました。16:00、恍惚のうちに微笑みながら、ネリーの魂は神のみもとへと帰って行きました。




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■ ネリーの死後
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ネリーについての話と彼女のご聖体への憧れを聞いた教皇ピオ10世は、興奮して、「これぞ、私が待ち望んでいたしるしです!」とおっしゃいました。その数か月後、「Quam Singulari(クァム・スィングラーリ)」を出され、初聖体の年齢を12歳から7歳へと下げられました。そして、教皇は、コークの司教に、ネリーの聖遺物を所望しました。

「ネリーを模範とし、プレヴォ神父をはじめ、若い子供たちに頻繁にご聖体をいただくよう勧める者たちを、天の御父が豊かに豊かに祝福してくださいますように。」- ピオ10世、1912年6月4日 -

ネリーの棺が移転のため掘り起こされた時、棺を開けると、結核症は体の組織を破壊するはずなのに、ネリーの体は腐敗を免れていました。彼女の死から100年以上経ちますが、ネリーの取り次ぎを通して、多くの奇跡が報告されています。


 



 
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Dobri Dobrev
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最近知った感動する話。99歳になるドブリ・ドブレフ氏は、毎日、家から25km離れたソフィア(ブルガリアの首都)まで、物乞いをしながら歩きます。そのドブレフ氏、実は、一銭も自分のためには取っておらず、全額、教会・修道院の修復や孤児院のために寄付し続けていたんです。



国の精神的象徴でもあるアレクサンドル・ネフスキー大聖堂。ある年、最も多く寄付(2万ユーロ=約300万円)したドブレフ氏がどういう人なのか、教会が調べました。まず、政界や経済界の有力者リストを調べますが、該当者がいません。そして判明たのが、最も貧しい人であるはずの彼。国中の誰もが驚嘆し、己の偽善性を痛悔させられました。



ちなみに、ブルガリアの平均年収は約50万円。日本の平均年収が約400万円なので、300万円の寄付は、日本の感覚にすれば約2,400万円となります。今も変わらず謙遜に生きるドブレフ氏は、ブルガリアの人々に生きた聖人として愛されています。




a beautiful story from bulgaria. mr. dobri dobrev (99 yo) walks every day from his village to the capital, sofia, which is approx., 25-km-walk, and begs on the way. however, they've found out that he keeps nothing for himself at all and has been donating all the alms for restoring church/monastery and orphanage.



the spiritual symbol of the nation, st. alexander nevsky cathedral. they wanted to know what kind of person their benefactor was who donated 20,000 euro (which was more than anyone) for the year. they firstly tried to check the names among the list of well-known rich figures with no results. to their surprise, it was mr. dobri dobrev, who was poorer than anyone, that was donating such huge amount of money.



the average annual income of bulgaria is about 500,000 yen, while that of japan is 4,000,000 yen. if he donated 3,000,000 yen, then it would be as much as about 24,000,000 yen here in japan. incredible!! humble mr. dobrev is loved and respected as a living saint in bulgaria.

 



 
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Felix Sit Annus Novus!!
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mater gratiae



Felix Sit Annus Novus!!



遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いいたします



昨年末、テンペラ画の情報を検索していた際、たまたまペルージャの聖堂にある「恩寵の聖母 (Mater Gratiae)」の絵を目にし、「自分のテイストでこの絵を描きたい!」という不思議な衝動にかられ、描いた一枚です



この一年、聖母の取り次ぎを通して、皆さんの上に主の豊かな祝福がありますように!!



Felix Sit Annus Novus!! Happy New Year!!



The image above is my latest painting "Mater Gratiae (Mother of Grace)". When I was looking for some design materials for the tempera painting and happned to see the image of "Madonna delle Grazie" of Perugia, Italy. As soon as I found it, I was inspired to paing my own version.



Many many blessings to you through the motherly intercession of Mary!!!

 



 
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Felix Dies Nativitatis!
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raffa



Felix Dies Nativitatis!!



主のご降誕、おめでとうございます!



クリスマスにピッタリのタイミングで、だいぶ以前にイタリアの著名なイコン画家に制作依頼していたイコンが届きました。細部まで丁寧に描かれていて、イタリアらしい鮮やかな色使いも美しい秀作です。



みなさんの上に、豊かな主の祝福が注がれますように!!



Felix Dies Nativitatis!! Merry Christmas to you all!!



The icon that i ordered quite a while ago has finally arrived! Good timing for my own Chrsitmas present. It is "written" by the famous Italian iconographer. You can see how delicate and detailed each touch is. Indeed, breathtaking! Pretty bright colors are impressive, maybe due to the Italian taste.



Many many blessings to you for the coming year!!!

 



 
イコン comments(2) -
Our Lady of Akita
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ローマが選んだ全世界の10の聖母巡礼地(ルルド/フランス、バンヌー/ベルギー、チェストホーヴァ/ポーランド、ナザレ/イスラエル、ナイロビ/ケニア、ワシントンD.C./アメリカ、アパレシダ/ブラジル、ルハン/アルゼンチン、ヴァランカニ/インド、秋田/日本)を結び、10月12日から13日にかけて行われた「聖母マリアとともに過ごす祈りの夜」に参加するため、秋田の聖体奉仕会をお邪魔して来ました。12日の夕方に現地に入り、13日の朝には帰京するという0泊2日の強行軍でした!!

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祈りのプログラムは23:00からでしたが、19:00過ぎには修道院の方へ。聖体奉仕会を訪れるのは、十数年ぶりかな。現地では、懐かしい面々との再会も。また、驚くほどたくさんのヴェトナムの方々、フィリピンの方々もいらっしゃっていました。事前に聞いていたところでは、全参加者数は800名強だとか。また、駐日教皇大使のジョゼフ・ チェノットゥ師も参列されました。(お御堂内は写真撮影禁止なので、玄関外から撮りました w)

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久しぶりにお会いする秋田の聖母のご像。ご像自体から非常に大きなオーラが出ているように感じ、決して大きなご像ではないのに、聖堂の中でも存在感が一際目立ていました。

our lady of akita

23:00から、各国の言葉(日本語、ヴェトナム語、韓国語、タガログ語&英語)による聖体礼拝。その後、日本時間の1:00より、ローマを中心に10の聖母巡礼地を結ぶロザリオの祈りが同時中継されました。最初に、ファティマから運ばれた聖母像が会場となるSantuario della Madonna del Divino Amore(神の愛の聖母教会)へ行列する中、10各国を代表する国旗が先導しましたが、日の丸が大きくモニターに映ると、お御堂では大歓声!特に海外の方々が日本人以上に歓喜してくださっていたのが嬉しかったですね!!

our lady of akita

その後、司会者が各地を紹介し、パパ様からのビデオメッセージが流れました。その中でパパ様の口からしっかりと「akita」という単語が発せられたときは、本当に感無量でした。

our lady of akita

日本はアメリカと一緒に、喜びの玄義の第4玄義を担当。新潟教区の菊地司教様がPater Nosterを唱えられ、選ばれた5名がAve Mariaを秋田の聖母像に向かって祈りました。非常に長丁場だったにも関わらず、それほど時間の長さを感じなかったのは、本当に不思議です。

our lady of akita

全世界を結ぶロザリオの後は、お御堂内でインターナショナルミサ。メインの司式者は菊地司教様。教皇大使のチェノットゥ大司教と他の神父様方(15名くらいいらっしゃったでしょうか)も共にミサを捧げられました。ミサが終わると、チェノットゥ大司教や聖体奉仕会のシスター小川から参加者へのご挨拶があり、無事にプログラムも終了。そうそう、聖堂を造られた宮大工の方もいらっしゃっていました。


ミサが終わる頃には、空も白み、天から恵みを注ぐかのような朝日の光がなんとも神々しく美しかったです。ミサの終わりには、少し不思議な体験もしました。


our lady of akita

ローマによって10の聖母巡礼地のひとつに選ばれたこと、教皇大使が参列なさったこと、また、パパ様ご自身の口から「akita」と言われたことを考えれば、秋田の聖母は教会が認めたことを再認識させるのに十分だと思います。聖母出現は信仰に必須なものではないので、信じるも信じないも自由ですが、これまで日本の教会は秋田についてネガティブだったように思います。必要以上に称賛することもなければ、必要以上に卑下することもないはず。ただ、天がこれほど大きな恵みを、カトリック国でもないこの国に与えられたことに、感謝すべきなのではないでしょうか。

 



 
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Mater Mea
sweet mary


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今日の福音(マタイ 12:46-50)について少し。聖書には、「イエズスの兄弟たち」という言葉が出て来ます。これを文字通り受け取って、「マリアにはイエズス以外にも子がいたのだから、終生処女ではない。」とするプロテスタントの見方があります。しかし、聖書をよく読むと、そうではないことが分かります。


1)聖書には、「イエズスの兄弟たち」という言葉が何度か出て来ますが、彼らは一度も「マリアの子」とは記されていません。一方、イエズスは「マリアの子」と記されています(ヨハネ 2:1、19:25、使徒 1:14)。


2)マタイの福音書の他の場所では、イエズスの兄弟たちとされる「ヤコブとヨゼフ」は、聖母ではない別のマリアの子どもたちとして記されています(マタイ 27:56、マルコ 15:40)。


3)イエズスは、十字架上で亡くなる際、聖母を弟子のヨハネに託しますが、もし聖母に他の子がいるのなら、聖母をヨハネに託すというのは不自然です。


4)「兄弟たち」と訳されるギリシャ語(新約聖書の原語)の"adelphoi(アデルフォイ)"は、同じ親から生まれた「兄弟」だけでなく、同じ文化を分かち合う仲、隣人、信仰を分かち合う者同士等々、幅広い用途で使われます。古代のヘブライ語やアラム語には、「いとこ」という言葉がないので、すべて「兄弟」という言葉を使っていたため、ギリシャ語で書かれる時にも、それが踏襲されました。ギリシャ語に訳された旧約聖書でも、「いとこ」、「(離れた)親類」、「甥」等、すべて「兄弟」と訳されています。また、パウロもイスラエルの同胞を「兄弟たち」と呼んでいます(ローマ 9:3)。


また、この箇所は、イエズスが母に対して冷たい態度を取っているようにも受け取られます。しかし、実際には聖母の偉大さを明らかにしていることが分かります。


イエズスは、「天におられるわたしの父のみ旨を行う人こそ、わたしの兄弟、わたしの姉妹、わたしの母である。(マタイ12:50)」と言います。同じような箇所がルカにもあります。「イエズスがこれらのことを話しておられると、ある女が群衆の中から声高らかに言った。「なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は。」しかし、イエズスは言われた。「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。」(ルカ11:27-28)」


ポイントは、肉親を否定しているのではなく、肉体的親になること以上に素晴らしいことがあるという点です。イエズスは、「神のみ旨を行う人、神の言葉を聞き、守る人」こそが、彼の母であると言います。言い換えれば、胎に肉体を宿すこと以上に、心に信仰を宿すことがより大きな恵みだと言っているわけです。これはまさに聖母のこと。彼女が揺るがない信仰を持ち、神の言葉に従順だったからこそ、イエズスは地に来れました(ルカ 1:26-38)。彼女の信仰が、イエズスをもたらし、彼女を「神の母」となし、そして、すべての人の母とさせたのですから、彼女は「真の母」であり、イエズスの発言は、彼女をおとしめているのではなく、その素晴らしさをより際立たせていることが分かります。





a bit reflection on today's reading (mat 12 46-50). the bible mentions "JESUS' brethren" several times. some protestants insist that mary could not be virgin because JESUS had some brothers, but if we read the bible carefully, it is not so.


1) these brethren are never called the children of mary, although JESUS himself is. (jn 2:1, 19:25, acts 1:14)


2) james and joseph are sons of a different mary. (mt 27:56, mk 15:40)


3) it is unlikely that JESUS would entrust his mother to the apostle john at his crucifixion if he had some other brothers to look after her.


4) the greek word "adelphoi", meaning "brethren", has broader meaning than blood brothers. since ancient aramaic did not have the word for "cousins", they used "brethren" for relationship other than the blood brothers. same cases can be found in OT many times, too, and paul used it as a synonym for his israelite kinsman in rom 9:3.


also, some people may think JESUS is too harsh on his mother here. however, he is actually revealing her great divine maternity.


he says "for whoever does the will of my FATHER in heaven is my brother, and sister, and mother. (mt 12:50)" and we can find similar remark in luke. " as JESUS was saying these things, a woman in the crowd called out, “blessed is the mother who gave you birth and nursed you.” he replied, “blessed rather are those who hear the word of GOD and obey it.”(lk 11 28-29)".


his point is not to deny the biological parent but to clarify there is far better thing than being a physical mother. he says those who do the will of GOD, hear the word of GOD and obey it is his mother. in other words, he is pointing out that to have faith in mind is greater than to carry the body of the LORD in the womb. for by mary's total faith in and obedience to GOD, JESUS was incarnated (lk 1:26-38). her faith bore the CHRIST, made her "mother of GOD" and let her be the mother of all people. so, she is the true mother and JESUS is emphasizing her greatness in his seemingly cold remarks.





聖書 comments(3) -
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